<高校野球山形大会:酒田南6-5日大山形>◇25日◇決勝◇荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた

 酒田南がチーム一丸の全員野球で3年ぶり10度目の甲子園出場を決めた。日大山形に2度、同点に追いつかれた。しかし最後まで主導権を渡さず、終盤に勝ち越して6-5で振り切った。選手たちは毎回の14安打で、就任1年目の阿彦祐幸監督(40)に、夏初優勝をプレゼントした。

 酒田南が2年分の悔しさを、大きな喜びに変えて爆発させた。9回表2死走者なし。右横手投げから相手4番をフォークで空振り三振にした板垣瑞希投手は、ウイニングボールを手にした捕手の下妻貴寛主将(ともに3年)と空中ランデブー。仲間たちとNO・1サインを掲げて優勝の味をかみしめた。

 昨夏後に就任し、夏初采配の阿彦監督は「選手たちは試合ごとにたくましく成長した。感謝したい」とナインをたたえた。「最後の夏に結果を出せてうれしい」。号泣した下妻は閉会式の途中、一時意識もうろうとなり救急車で運ばれた。それほど激しい試合だった。

 同点の5回裏無死一、二塁。先発エース会田隆一郎(3年)の二塁ゴロで、一塁走者の下妻主将は相手遊撃手と二塁で激突。左のすねを負傷しながら一塁悪送球を誘い、5点目につなげた。7回に再び追いつかれたが、8回裏1死一、三塁。3番阿部光規(2年)の右翼線二塁打で勝ち越し。下妻主将は痛みをこらえこの1点を守った。主将として、扇の要として、力を使い果たした。

 制球難に苦しみ続けてきた会田も、5回途中に左翼守備に退くまで試合の流れはつくった。入学時は下妻主将とともに大型ルーキーと騒がれた。だが結果が出ない。周囲からの重圧も背負った。不振とともに悩み、一時は横手投げに転向するなど苦難の連続だった。この日も最終回は守備固めでベンチに下がり、満足してはいない。「最後までマウンドにいたかった。もっとコース、コースに投げられるようにして、恥じないピッチングをしたい」。ようやくつかんだ甲子園での雪辱を誓った。

 3年間、投打の柱だった2人を中心に打線も成長した。この日は先頭打者が四死球で出塁した4回すべてを得点につなげた。入学時から見守ってきた、前監督の西原忠善総監督(49)は「バッテリーも重圧に勝って、周りの選手もグレードアップした。もっといける」と、聖地でのさらなる成長に期待を込めた。【佐々木雄高】

 ◆酒田南

 1961年(昭36)創立。生徒数は545人(男子341人)。野球部は62年創部で部員は61人。甲子園は過去夏9回、春1回出場。ほかに運動部では陸上部(駅伝含む)、ボクシング部、レスリング部などが全国レベル。主な卒業生は長谷川勇也(ソフトバンク)小林賢司(オリックス)山本斉(ヤクルト)。所在地は山形県酒田市南千日町4の50。斎藤善明校長。◆Vへの足跡◆2回戦2-0山形学院3回戦10-2鶴岡高専準々決勝10-5酒田光陵準決勝5-0山形中央決勝6-5日大山形