<全国高校野球選手権:慶応6-4松商学園>◇5日◇1回戦

 慶応(北神奈川)が46年ぶりの夏1勝を挙げた。先発した「力道山の孫」田村圭投手(3年)が松商学園(長野)戦で7回2失点と好投し、勝利に導いた。打線は12安打6得点と援護した。田村は左肩痛だった今春のセンバツでは、21世紀枠で出場した華陵(山口)にまさかの初戦敗退。雪辱に燃えた左腕エースが、祖父譲りの気迫で復活した。慶応は1916年(大5)の第2回大会以来の優勝を目指し、大会10日目の2回戦で高岡商(富山)と対戦する。

 プロレスラー力道山の孫、田村が46年ぶりに甲子園に流れる塾歌に胸を張った。満員の一塁側アルプススタンドの応援団は「慶応~」と大合唱した。今春センバツ初戦敗退の雪辱を期したマウンドで、田村が7回を8安打2失点と好投。「今日は50点ぐらい。1勝じゃ満足できない」の言葉が頼もしかった。

 真夏の甲子園で輝きを取り戻した。2回に先制点を許したが、気迫の投球で味方の反撃を呼び込んだ。スライダー、カットボール、ツーシームを丹念に投げ分けた。直球は自己最速143キロに迫る140キロをマーク。右打者の内角をグイグイ突いた。回を終えるたびに雄たけびを上げ、ガッツポーズ。暑さ対策でベンチに戻ると塩をなめた。初戦の重圧から7回には野球人生で初めて両足がつった。踏ん張りがきかない中、2死一、二塁のピンチを遊ゴロで切り抜けた。「僕の気持ちが勝ちました」。気持ちを込めて、106球を投げ抜いた。

 センバツ前には祖父力道山が眠る東京都内の池上本門寺を訪ねた。お守りも10個近く甲子園に持ち込んだ。必勝を誓ったが、初戦で華陵に敗退。左肩痛の影響で5回1失点でマウンドを降りた。今大会前は参拝をやめ、お守りも置いてきた。夏は祖父の力を借りずに、自力で勝つ決意だった。

 センバツ後は左肩痛から約2カ月間投げられない日々が続いた。練習とリハビリの連続に心労も重なって体重は7キロ落ちた。左肩痛から復帰したのは5月31日の羽黒(山形)戦。まだ完治してないが、今は投げられる喜びを体全体で感じている。上田誠監督(50)は「ここぞという時にいいボールが来ていた」と復調を喜んだ。

 田村の力投に打線が12安打6得点で援護した。センバツまでは相手校データばかりを集めていたが、敗戦を機に自チームのデータ分析に力を入れた。「BASEBALL

 MATRIX」と称し、項目は30以上になる。打者は初球を振る確率、フライアウトの確率など、投手は2死から走者を出す確率など、すべて数値化した。敵ではなく、まずは味方から。発想の転換で数値をもとに弱点を克服してきた。

 エースナンバー田村の後を受け、背番号「3」の只野尚彦投手(3年)が2回2失点で逃げ切った。上田監督が「格闘家の血を呼び起こすために、田村を1にした。慶応のONコンビ」と話す得意の継投策だった。髪を伸ばし、監督と選手がベンチでハイタッチを交わすエンジョイベースボール。46年前は2回戦で敗退したが、目指すは92年ぶりの日本一。その中心に闘魂エースがいる。【前田祐輔】