現地23日、全米野球記者協会(BBWAA)の記者投票の結果、選出ラインの75%以上の得票を集めた3氏が今年の野球殿堂入りに決まったことが発表された。

選ばれたのはレンジャーズなどで通算通算3166安打、477本塁打と活躍したエイドリアン・ベルトレ氏と、ロッキーズ一筋に17年間在籍し通算2519安打、打率3割1分6厘と活躍したトッド・ヘルトン氏、ツインズ一筋で15年間捕手としてプレーし、首位打者3回のジョー・マウアー氏の3人。

ロッキーズ時代のトッド・ヘルトン氏(08年3月撮影)
ロッキーズ時代のトッド・ヘルトン氏(08年3月撮影)

この中で特筆したいのが、ヘルトン氏が大きな挫折によって殿堂入りへの道を歩むことになったことだ。ヘルトン氏は1992年、高校3年時に打率6割5分5厘、12本塁打を記録、ベースボール・アメリカ誌による高校全米選抜に選出され、卒業後MLBドラフトでパドレスから2巡指名を受けた。その一方でアメリカンフットボールのクオーターバックとしてもパスで2772ヤード獲得するなど活躍したのである。その結果、ヘルトン氏は野球とフットボールの二刀流追求のため、パドレスの指名を蹴り、奨学金を得てテネシー大学に進学することを決断したのである。

フットボールでは当初控えだったものの、94年、3年時に先発の座を得ることができた。しかし、膝を負傷すると当時1年生だったペイトン・マニング氏にその座を譲り、マニング氏が大活躍を見せたことで控えに戻され、以降野球に専念することとなったのだ。

テネシー大学での野球の成績は打率3割7分、38本塁打を記録、さらに投手としても193イニングを投げ、防御率2.24、172奪三振を挙げている。その結果、95年のMLBドラフトで全体8位でロッキーズから指名を受け、入団することとなった。その後97年にメジャーデビューを果たすと、めきめき頭角を現し、00年には打率3割7分2厘、147打点で00年に首位打者と打点王の2冠に輝いた。以降、13年に引退するまでシルバースラッガー賞4度、一塁手としてゴールドグラブ賞3度、オールスターに5度選出されている。今回得票率79.7%で堂々の殿堂入りとなった。

ちなみにフットボールをあきらめさせることになったマニング氏はその後も活躍を続け、98年にNFL入りすると、15年に引退するまでスーパーボウルを2回制覇し、5回NFLのMVPを受賞するなどNFLを代表する選手となり、21年にプロフットボール殿堂入りを果たしている。

そうした経緯もあり、21年のMLBオールスターゲームではヘルトン氏が見守るなか、マニング氏が始球式を行うということも実現していた。今回の殿堂入りはなんとも不思議な縁を感じる。