米大リーグのオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結んだ冨岡聖平投手(25)が14日、マイナーキャンプ合流のため、成田空港から渡米した。

「コロナで1年間は米国に行くことが出来ませんでしたが、ようやくキャンプに向かうことが出来るので楽しみ。コロナなどもありますが、不安はない。野球も生活も文化も順応していきたい」。新型コロナウイルス感染症対策で、アリゾナ州メサ入り後は1週間の隔離措置があり、外出は散歩程度。その後は、31日(日本時間4月1日)の正式合流に備えて現地で調整する予定だ。

19年11月に都内で行われたアスレチックスの入団テストで、実力が認められた。自己最速95マイル(約153キロ)の直球をマークし、昨年1月末に契約締結。本来は同2月に渡米予定だったが、コロナ禍が世界的に猛威を振るった。合流を待ち続けたが、同6月末に米マイナーリーグの中止が決定。1年目は米国に行くことすら出来ず、日本での調整を余儀なくされた。

だが、1年間渡米が遅れたことで、英語力は確実に上がった手応えはある。「話すことは特に不安があったけれど、英語に関してはプラスになった部分だと思います」。自身で米映画や音楽を聴いて勉強するだけでなく、米国の知人とオンラインでトークする“英会話教室”も重ねた成果は出た。

昨年6月までは東洋大時代の同期生が営む名古屋市内の施設を拠点に、キャッチボールなどを含めて、いつでも合流出来る準備を進めていた。渡米が翌年に決まった7月以降は、実家のある富山県黒部市に戻り、1人でトレーニングに励んできた。自宅を一部リフォームし、トレーニング器具を設置。「メジャーの試合もよりたくさん見るようになりましたし、良い投手の投球フォームは、良い部分が共通していることも分かった。軸足の使い方など、良い部分を切り取りながら自分にも参考にし、それにともなった筋力もつけるなど工夫はしてきました」。

今年の冬の富山は例年以上に雪も多く、地元の中学校やバッティングセンターにあるブルペンを借りての投球練習は、今春になってからだ。捕手もいないまま、ネットに向かって1球1球、投げ込んだ。投げるたびに自分でボールを取りに行くこともあった。「本格的に打者と対戦する実戦は、1年半くらい遠ざかっている。ブルペンに入ったのも、まだ5回くらいです。でも、1球の価値や大事さは、すごく実感し、学ぶことが出来たと思う。野球が出来ることが当たり前ではないですし、チャレンジ出来る環境にいられていることが幸せに感じた」。野球に臨む姿勢や支えてくれる人への感謝の気持ちなど、精神的な部分の成長も感じている。

ようやく野球が出来る2年目シーズンだ。昨季のアスレチックスはア・リーグ西地区で優勝。投手陣も全30チーム中6位の防御率3・77と充実しており、メジャー昇格は簡単ではない。「評価するのは球団の首脳陣。それはどこの球団でも一緒。自分の能力を上げるしか生きる道はありません」。あえて目標は掲げず、自身が日々成長することに集中する。

夢は当然、メジャー昇格。将来的な夢もある。「今の日本はプロアマの壁がある。それをなくしてほしい。自分がメジャーリーガーになって、日本や富山の子どもたちに、たくさんのことを伝える活動もしたいと思っています」。まずは、アスレチックスの緑色のユニホームを着てマウンドに立つ姿を、日本に届ける。【鎌田直秀】

 

◆冨岡聖平(とみおか・しょうへい)1996年(平8)2月29日生まれ、富山・黒部市出身。田家小3年時に田家イーグルスで野球を始め、鷹施中では軟式野球部所属。桜井高では1年秋からベンチ入りし、高3夏に県準V。東洋大ではソフトバンク甲斐野やDeNA上茶谷らの1学年上で、東都通算6試合登板で1勝1敗。卒業後はバイタルネットに入社。180センチ、89キロ。右投げ右打ち。家族は両親と妹2人。血液型O。特技はイカ釣り。