【アナハイム(米カリフォルニア州)1日(日本時間2日)=斎藤庸裕】エンゼルス大谷翔平投手(29)のメジャー6年目が終わった。チームは地区4位に低迷し、9年連続でポストシーズン進出を逃したが、個人では44発で日本人初のリーグ本塁打王を獲得。投手では10勝5敗、防御率3・14で史上初の2年連続「2桁勝利&2桁本塁打」を達成した。9月19日に右肘を再手術し、来季は打者に専念。エ軍との契約は今季で終了し、フリーエージェント(FA)となる今オフの動向から目が離せない。

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23年シーズンを締めくくる最終戦、大谷は勝利の瞬間まで試合を見届けた。快勝を飾ったナインを出迎え、フィールドへ向かった。固定された右腕を封印し、左手でグータッチ。右脇腹の負傷と右肘の再手術でシーズン終盤に離脱したが、最後まで戦うチームメートを見守った。エ軍の一員として駆け抜けた6年間。クラブハウスで仲間たちと握手やハグを交わし、エンゼルスタジアムを後にした。

この場所で、何度も熱狂を生んだ。圧倒的な投打のパフォーマンスは驚きの連続。歓喜に沸いた一方で、度重なる故障に沈んだ。勝てない現実を突きつけられ、うまくいかない状況にイラ立ちもあった。喜怒哀楽が渦巻いた二刀流ロード。個人としてリーグ本塁打王をはじめとし、日本人初の偉業や史上初の快挙を幾度となく成し遂げた。分かりやすい功績だが、大谷が残したものとは何だったのか-。それは、数字では表れない無形の財産だった。

シーズン終盤、欠場や右肘の手術で大谷不在の間、ネビン監督は繰り返し言った。「彼はどこにいてもオーラがあり、違ったエネルギーをもたらしてくれる」。新人選手は目を輝かせ、大谷を観察する。ベンチやクラブハウスで野球談議を交わし、時にはおちゃめにじゃれ合う。その空間には笑顔があふれ、ポジティブな風が吹き込んだ。結果的にチームは毎年、下位に低迷。二刀流の生かし方に失敗したと言わざるを得ないが、目に見えない形でも大谷の貢献度は高かった。

もちろん、最初から風格が備わっていた訳ではない。初々しかった1年目、トラウトやプホルスら偉大な先輩たちに必死についていった。コツコツと力をつけ、年を重ねて自信が身についた。強敵との戦いで完敗し、悔しさを糧にやり返した。どん底を味わいながら、その度にはい上がった。二刀流で積み上げたメジャー6年の経験は、数字では表れない勲章でもある。

そしてようやく、打撃部門で初タイトルを獲得。球団を通じ、大谷は「MLBでこれまで活躍された偉大な日本人選手たちのことを考えると大変恐縮であり、光栄なことです。この目標を達成するのに協力してくれたチームメート、コーチングスタッフ、ファンに感謝します」とコメントした。右肘を再手術し、二刀流の道なかばでFAとなる。来季は打者専念で、期待される完全復活は2年後の春。希望を抱き、愚直に進む。