ホワイトソックス村上宗隆内野手(26)が1日(日本時間2日)、パドレス戦で13号3ランを放った。これが日本選手のMLB通算1000号となった。日本選手1号を取材した記者が、当時を振り返った。

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ロサンゼルスの夜。あの野茂が笑っていた。ただ笑顔を浮かべただけで、それがドジャースタジアムをニュースになって駆け巡ったのは、いかに衝撃的な光景だったかを物語った。

今から28年前、1998年4月28日、ドジャース対ブルワーズ戦。日本選手として初本塁打を放ったのは、メジャーのパイオニアで、投手の野茂英雄だった。

当時ナショナルリーグにDH制はなかった。「9番」で出場した通算219打席目。7回1死。メルセデスの内角高めの球を、おのを振りおろすかのようにフルスイングした。

その瞬間をプレスボックスから見ていた。打球は左翼後方のブルペンに舞い降り、鳴りやまないスタンディングオベーションに、野茂がベンチを出て応えた。

名将トミー・ラソーダの後継となった監督ビル・ラッセルが「あの野茂が笑うというのは、特別なことだ」と驚きながら称賛したのを覚えている。

しかも、野茂にとって大リーグ通算100試合目の登板で、3安打3失点の完投勝利を収めた。野茂は「うれしかったです。それだけです。いつ以来のホームラン? みなさんが調べてください」と話した。

近鉄時代はDH制で本塁打ゼロ。本紙は新日鉄堺に在籍した88年6月29日の都市対抗阪和第3代表決定戦の対NTT関西、野茂が2ランを放った貴重な記録を突き止めている。

ドジャース移籍を果たしたのは95年。日本は阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が起きるなど惨事に見舞われた。大リーグも長期ストライキで停滞していた。

そんなすさんだ時代に日本を飛び出した男が、米大リーグの球宴に先発し、新人王、最多奪三振の華やかな活躍をした。センセーショナルなアジア人の出現は「トルネード旋風」「NOMOマニア」と称される社会現象を巻き起こす。

野球協約の抜け穴をかいくぐった米移籍は「裏切り者」「国賊」とまで痛烈批判を浴びたが一転、手のひら返しで絶賛され、不信感を強めた野茂は口を閉ざすようになった。

常軌を逸した事態だったが、あれから30年以上が過ぎた。2年前、現場で大谷翔平の「40本塁打、40盗塁」を目の当たりにした。ドジャースタジアムの熱狂は変わっていなかった。

メジャー取材の先駆け記者としても、ホワイトソックス村上宗隆が刻んだ通算1000本塁打の区切りは感慨深い。だれがこれだけあまたの日本選手が海を渡って、野球の本場で輝くことを想像しただろうか。

ただ1人、道なき道を切り開き、おのれの生きざまを貫いた野茂だけが、それを信じていたのかもしれない。【寺尾博和】