<2001年4月4日付日刊スポーツ紙面から>【シアトル(米ワシントン州)2日(日本時間3日)=田誠、四竃衛】シアトル・マリナーズのイチロー外野手(27)がメジャー開幕戦で鮮烈なデビューを飾った。アスレチックス戦に「1番右翼」でスタメン出場し、5打数2安打で1得点。第3打席までは凡退したが、7回裏の第4打席に中前へ初安打を放ち、同点劇の先陣を切ると、8回裏にはバント安打で逆転勝ちのチャンスをつくった。日本人メジャー11人目、野手としては初のメジャーリーガーとして、鮮やかな第1歩をしるした。

 

 心の底から、楽しかった。初めてそでを通した公式戦用ユニホームの肌触り、スタンドの歓声、そしてバットの感触。思い焦がれてきたメジャー初舞台をイチローは五感をフルに駆使し、堪能した。「想像していた以上でした。一生忘れられない日。最も特別な日になるでしょう」。求めていたものに巡り合えた感激は言葉では言い尽くせなかった。目に映る光景、聞こえてくる音のすべてを新鮮に感じながら、イチローはフィールドを駆け回った。

 目が潤みそうになるほどだった。一塁に到達したイチローは万感の思いに浸った。7回裏、無死。カウント1-2からアスレチックス2番手マシューズの投げた直球が、中前へのメジャー初安打となった。「何年、プレーしても開幕の日に安打が出るとうれしいもの。ましてや何年も前から目標にしていたアメリカで打てた。喜びの質が今までとは違います」。記念すべき一打は午後9時41分に飛び出した。

 一塁ベース上では、昨季のア・リーグMVP、JA・ジオンビーから「コングラチュレーションズ(おめでとう)」と祝福された。まだ「鈴木一朗時代」の93年ハワイでのウインターリーグで戦った相手だ。めったに表情を変えない男も、はにかむように笑い「サンキュー」と言葉を返した。

 この初安打が呼び水になった。この回、マリナーズは2点差を追い付いた。続く8回裏無死一塁での第5打席。勝ち越しを狙うベンチのサインはバントだった。「今日の打席で一番緊張しました。多分、94年以来だと思うんですが、どうしようかなと思いました」。極端な前進守備を敷く三塁前ではなく、左打者としては難しい一塁側へ完ぺきに転がし、足で2安打目を記録した。イチローの俊足が焦りを誘って、投手メシーアが一塁へ悪送球。オルルドの勝ち越し犠飛につなげた。

 第3打席まではア軍エースのハドソンの前に沈黙した。二ゴロ、一ゴロ、空振り三振。昨季20勝の最多勝男の底力に抑え込まれた。だが、そんな屈辱さえもイチローには新鮮だった。「素晴らしかった。あんな投手は見たことがなかった。やり返す?

 そういう気持ちがないと打席には立てないですから」。凡退した悔しさよりハイレベルの好敵手と対戦できる喜びが大きかった。

 選手の高いレベルに、凡打にも全力疾走で拍手をくれるファン。そして勝利。すべてを目に焼きつけた。1点リードの9回表は佐々木が締めくくる最高の勝ち方でデビュー戦は終わった。「佐々木さんとは何年も前からチームメートとして試合を終了したいと思っていた。開幕戦でかなうなんて信じられません。もちろん相手を手ごわいと感じることもありましたが、そういうのも期待していましたし、苦しいですけど十分に楽しめました。でも今日のことは今日。日付が変われば、次の日のことを考えなきゃいけませんからね」。

 野球少年のような初々しさと、日本で培った7年連続首位打者の技量。メジャーの舞台が天才イチローにまた新たな可能性を与えた。

 

 ☆イチロー一問一答☆

 --開幕ゲームを終えて

 イチロー

 長い間、アメリカに来たいという思いがあって初めてグラウンドに立てて、しかも安打が打ててすごくうれしかった。

 --試合前のセレモニーからすごい雰囲気だった

 イチロー

 セレモニーもそうですが、試合そのものの盛り上がり方がすごいと思いました。歓声もすごかったですし一生忘れられない日になるでしょう。

 --バント安打も出た

 イチロー

 すごく硬くなりました(笑い)。もう6年ぐらいやってなかったですから。成功してホッとしました。

 --打ちたかったのでは

 イチロー

 今日はそういうふうには思わなかったです。ただ、これから僕の活躍を見てもらってからですね。

 --公式戦でユニホームを着た実感は

 イチロー

 キャンプ用じゃなくて、本当のユニホームを着るのが大きな目標でしたから、そでを通した時は少し、半笑いになりましたね。

 --先発ハドソンの印象は

 イチロー

 素晴らしい投手でした。あんなに低めだけで勝負できて、しかもストライクゾーンの高めには浮いてこない投手は見たことがなかった。サイズ的には日本にもいると思いますが、向かってくる姿勢といい、ヒザのあたりで勝負できる投手は対戦したことがなかったです。ただ初めての対戦でしたから、あれが彼のスタイルかもしれませんから、よく分かりません。でも、(配球は)オープン戦とは違ったと思います。

 --声援は聞こえましたか

 イチロー

 たくさん聞こえてきました。大暴れ?

 ちょっとだけはできたかなと思います(笑い)。

 

 ◇父妻最前列

 イチローのデビュー戦を妻弓子夫人(35)父宣之さん(57)ら家族も一塁側ベンチ前最前列で見守った。「体のことなど、少し心配してましたが、元気そうな顔を見て安心しました」と宣之さん。幼少時からマンツーマンで打撃センター通いをしてきただけに、悲願のメジャーデビューには感慨もひとしお。試合終了時には、周囲のファンとともに立ち上がって大きな拍手を送っていた。

 

 ★イチローの母淑江さん

 わりと落ち着いて見られましたが本当に良かった。送りバントなんて、ほとんど見たことがないのでビックリしましたけど、ヒットも打てて、試合にも勝ってホッとしています。明日からもまた頑張ってほしいですね(愛知県内の自宅でテレビ観戦し)

 

 ◆データセンター

 ▼日本でのイチローのバント安打は走者なしからのセーフティーバントが1992年(平4)に1度、送りバントが内野安打になったケースが92年1度、94年2度あり、計4度しかなかった。95年以降は1度もバントをしていない。内野安打は初めて首位打者を獲得した94年から97年までの4年間と昨年の5度、両リーグ最多を記録した。

 

 ◇とっておきメモ◇

 試合終了後、マリナーズのロッカー室でイチローと握手した。「よお、何ていうか、泣きそうになったわ」。そうおどける私の目を見ながらイチローは「ボクもですよ……」と真剣に返した。

 メジャーへの道は、涙から始まった。オリックスが巨人を倒し、日本一に輝いた96年秋の日米野球。イチローは全力プレーと同時に野球を心から楽しむメジャーリーガーに圧倒された。「こんなヤツらがいたのか」。そう感じながら、自然に涙を流していた。

 3年連続で首位打者を獲得した。日本一にもなり、ひとつの頂点を極めていた。同時に言いようのない閉塞(へいそく)感に苦しむ時期だった。試合では、執ような内角攻めを受け、打つだけではファンに満足してもらえない。「オレはどうすればいい」。そう悩んでいた時だった。

 野球が好きで好きでたまらなかった自分を思い出させてくれたメジャーに感激し、その輪の中に入りたいと心底思った。だが簡単ではなかった。「大リーグに行きたい。でも球団とケンカしたり、波風立たせてまで行くなんて」。そう頭を抱えた。

 それから5年。さまざまなハードルを乗り越え、イチローはメジャーの一員となった。「夢をかなえた」と騒がれるだろう。だがイチローにとれば、そう簡単なものではない。昨年の渡米前、彼は言った。

 「人間は、逆らえない運命に操られてると思う。親しい人の死とか、受け入れられないようなことが起こると特にそう思う。この世には目に見えない『流れ』がある。努力は必要だけど、同時に流れに沿って生きるしかない。大リーグ挑戦も運命でそうなっているのでしょう。失敗するかもしれない。そのときはそれが運命だと思います」。

 イチローは、そこまで決意している。だからこそ幸運な門出に涙が出そうになる。【前オリックス担当=高原寿夫】