徳島商の板東英二投手が40回大会(1958年)で奪った三振数83は今も大会記録として残る。6試合62イニングを1人で投げて奪った数だ。18回大会で明石中・楠本保が記録した64を超えた。

 奪三振ショーは初戦(2回戦)秋田商戦の17で始まった。3回戦の八女が15、準々決勝(延長18回引き分け)の魚津が25、再試合9、準決勝の作新学院が14。ここまでの5試合で80奪三振。失点3、自責点0だった。4連投になった決勝の柳井戦ではさすがに疲れが見え、3三振だけ。7点を失って敗れた。

 板東は「ほとんどまっすぐ。カーブは抜けるんですよ。決勝では試合中、ベンチに戻ると水ばかりかけていた。疲れて眠たかったんですねえ」と話した。

 甲子園出場を決めた県大会決勝(対撫養=むや)では17三振を奪った。その年春の四国大会では2試合で47三振を記録した。

 板東はこんな記録を自慢にしない。「当時はマシンもないし、室内練習場もなかった。今の人の方がよっぽどすごい。僕は相手に恵まれた。たまたまです」。しかし、四国大会で対した高知商は同じ甲子園で4強入り、高松商はベスト8。高知商の森光投手、高松商の石川投手-岡村捕手のバッテリーはのちにプロ入りしている。【米谷輝昭】