巨人原辰徳監督(57)が19日、東京・大手町の読売新聞東京本社で退任会見を行った。原監督、白石オーナー、久保社長が出席。

 17日のヤクルトとのCSファイナルステージに敗戦後、桃井会長に辞任の意向を伝え、選手、関係者にも自身の口で伝えた。

 この日、渡辺恒雄最高顧問と白石オーナーに直接伝え、受諾された。

 通算12年でリーグ優勝7度、日本一に3度導いた名将が、正式にユニホームを脱ぐことが決まった。報道陣110人を前に、原監督は会見の冒頭で以下のあいさつをした。

 

 私の意思というものを先日(17日)桃井会長に伝えまして、意向をあらためて渡辺主筆と白石オーナーに伝え、理解していただいて退任する運びとなりました。

 ただただ、長きにわたり応援してくださいましたファンの皆様、スタッフの皆様、選手、皆々様に感謝する気持ちでいっぱいです。

 なぜこういう決断したかというと(監督生活)12シーズン、10年連続でという中で、ここ3年ほどチーム力が低下し成績も落ちてきている。何とかというのもあったけど、この辺が潮時であり、チームにとっても新陳代謝することの方が、新しいリーダーにチームを託す方が正しい選択という形でこういう結果になりました。

 思い起こせば1999年、長嶋監督のもと、コーチを3年間やりまして、その時に長嶋さんより命を受け、渡辺主筆、山室代表によってバトンを渡された。自分の中で何にもまして大きなプレッシャーの中、僕の野球人として最大なる憧れであった長嶋さんの後に監督と、これが何にも替え難い、何にもまして大きなプレッシャーでした。

 しかし非常にスムーズに引き継ぎをしてもらい、残されたスタッフの皆様のおかげで不安の中、12年間、監督を滞ることなく仕事を全うできた。まずは長嶋さんの後に監督を受けたあのプレッシャーを思う、比べるならば、これ以上のプレッシャーはなかった。さまざまなことが起きましたが、いいことも、あるいは勝ったり負けたりもあったが、それを超えるほどの辛さは何もありません。それぐらい、長嶋さんより、監督を受けてそこからスタートしたのは大きなものだった。

 当時の山室代表が、私がコーチの時、長嶋さんは野手の用兵は任せてくださっていて、選手交代で工夫をして用兵をした。すると『原君、先を読んだ用兵は素晴らしいね』と言ってくれた、それから余計に野球の研究、セオリー、用兵、戦術、すごく勉強するきっかけになった。2年で退任という中、(渡辺最高顧問が)人事異動と、そういう中、『必ず君にはチャンスを与えるぞと、どういう形でも勉強して下さい』ということで1回退任しました。

 2年たった時に、滝鼻オーナー(当時)と話をして今後のジャイアンツはどうあるべきか話をして要請を受けた。その時、1つだけお願いがありますと。『私はチームを懸命に守ります。主筆、オーナー、私をどうぞ守って下さい。そのことがあれば私はどんなことがあっても立ち向かっていけます』と主筆(渡辺最高顧問)の前でお話しさせていただいて。快く『分かった』と。その代わりパッと私の前で『監督をやめなさい』と言われた時は『はい』と辞めますという話をして、第2期の監督がスタートした。

 今日まで10年連続でしたけど、主筆をはじめ球団の皆々様には私を守っていただき、私はチームを守ることに専念できたのは、何にも替えがたい感謝であり、恩義を今でも感じていますし、後々変わらず不変のものと思っています。

 一部報道に急に監督を辞めると伝え、球団も少し困っているのではないかというのもありますが、私は人に誰にも負けないぐらいのジャイアンツ愛は持っているつもりです。そこまで至る経緯は、オーナーに意思というものは伝えてありました。

 その中で、その時に答えはもらいませんが、まず置かれている勝負に勝ちなさいという後押しの中懸命に戦って参りましたが、力足らずという形でこういう風になりました。

 (17日の)ヤクルトとの最終戦が終わった時に(桃井会長と辞意の)お話をして、家に帰りまして、久しぶりに、枕を高くして、ぐっすり寝て、家の中でも女房と久々に監督という立場のない状態で会話をというのは、私の中で監督という仕事はやりがいのある、楽しいと常に前向きで思っていました。しかし、多少のプレッシャーといいますか、肩の荷が下りたのだなと思いました。

 まずは12年間監督、コーチ3年間、15年間にわたってチームを滞りなく、任務を終わり、新しい監督に託せるのは、感謝とともに多少の満足感もあります。

 81年というジャイアンツの歴史の中、たくさんのOBの人たちが支えてくれました。ジャイアンツは常に前進し、ジャイアンツのOBとして2016年度、新しい未来に向けて強く、ファンに愛される球団になってくれることを、OBの一員として応援し、私の任務というのを全うさせていただきます。本当に、皆さんありがとうございました。