プレーバック日刊スポーツ! 過去の11月2日付紙面を振り返ります。2007年の1面(東京版)は山井-岩瀬パーフェクトリレー中日Vでした。

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<日本シリーズ:中日1-0日本ハム>◇第5戦◇2007年11月1日◇ナゴヤドーム

 非情の交代でオレ竜が頂点に立った。中日が日本ハムに1-0で勝って4連勝を飾り、53年ぶりの日本一に輝いた。1-0で迎えた9回、パーフェクトで抑えていた先発山井から守護神岩瀬にスイッチし、初の日本シリーズ完全試合リレーで逃げ切った。04、06年と2度日本シリーズに敗れた落合監督は、個人記録よりも勝利に徹する采配で悲願を達成した。リーグ優勝を逃したチームの日本シリーズ制覇は史上初になる。

 落合監督の目が真っ赤になった。岩瀬が最後の打者を打ち取った瞬間、半世紀の間、閉ざされていた扉が開いた。ベンチを出ると帽子を取ってスタンドに決意の丸刈り頭を下げた。1歩また1歩と胴上げの輪に近づくたびに目が潤んだ。

 「感無量です。前回(の日本一)は、まだ私が11カ月の時でしたから。長かったですね。この4年間も長かった。涙? 今年は絶対に泣くまいと思っています」。昨年の優勝時に大泣きした指揮官はお立ち台で強がったが、その目には熱いものが光っていた。

 最後は究極のオレ流采配だった。9回、完全ペースの先発山井を交代させ、守護神岩瀬をマウンドに送った。まさかの交代劇にスタンドはざわめいた。8回表終了のベンチ。山井は森バッテリーチーフコーチから「体力、握力はどうや?」と状態を聞かれた。29歳は、その瞬間に理解した。「個人の記録は、この試合に関して全然関係ない。最後は岩瀬さんに投げてほしかった。僕の方から『代わります』と言った」。

 落合監督も「幸か不幸か、山井がもういっぱいだと言うので代える分には抵抗はありませんでした」と言った。山井の直訴を受けた格好だが、山井の投げたい気持ちは分かっていた。だが、記録ではなく日本一になるために戦ってきた。9回、迷うことなくベンチを出た。ファンのコールにも流されずリレーを決断した。シリーズ史上初の完全試合という最高の幕切れだ。リーグ連覇こそ逃したが、クライマックスシリーズを5連勝で制覇した。

 苦い経験があった。04年の西武との日本シリーズ第3戦。2点リードした7回に2番手の岡本がピンチを迎え、マウンドに向かった。「代わるか」と問いかけると「いけます」の返事。交代予定を変更し、カブレラに満塁本塁打を喫して逆転負け。この1敗が響いて3勝4敗で日本一を逃した。勝負に情は禁物だった。

 「オレはな、職人なんだよ。野球を突きつめたいんだ。オレは記憶に残りたいなんて思わない。オレたちはプロなんだぜ。結果がすべてだろ。優勝回数が一番多い監督が、一番すごい監督なんだ!」。

 ひたすら勝つためにすべての感情をぐっとこらえてきた。この日の山井交代のシーンが象徴的だった。

 選手たちの手で4度、宙に舞った。職人が自分に激情を許すほんのわずかな瞬間。笑うことも、泣くことも、我慢しなくてよかった。「まだペナントに勝って連覇という課題が残っている」。球団史上初のリーグ連覇を目標に掲げたが、抑えてきた感情の分だけあふれる涙は熱かった。

※記録と表記は当時のもの