人は土俵際まで追い詰められた時、「本性」をさらけ出すもの。だから心底驚いた。あの時、阪神鳥谷はプロ野球人生最大の苦境に立たされてなお、後輩たちの心情を最優先しようとした。

 絶不振真っただ中にいた16年夏。7月24日広島戦で先発を外れ、連続フルイニングが667試合でストップ。不動だった遊撃レギュラーの座を失った直後の話だ。実は水面下で金本監督やコーチから、二塁や三塁での先発起用を打診されていた。首脳陣の配慮に感謝しつつ、鳥谷はなかなか首を縦に振れずにいた。

 「二塁にしろ三塁にしろ、ずっと必死で頑張ってきた選手が何人もいる。なのに自分が『ショートで出られなくなったから、じゃあ他で』と簡単にそっちに移ったら、他の選手たちがどういう気持ちになるか…」

 12シーズンぶりの三塁出場を受け入れたのは9月3日DeNA戦。1カ月もの間、自分の出番以上にチームのまとまりを気にかけていた姿が忘れられない。

 鳥谷取材歴はもう10年になる。クールな立ち振る舞いに注目が集まりがちだが、記者の印象は真逆で「義理人情の人」「気遣いの人」だ。後輩選手を食事に誘うだけでも「もしオレが声をかけたら、嫌でも来ないといけなくなるからな…」と気にかけてしまう人だ。

 小中高大を通じて主将経験はゼロ。虎で「Cマーク」をつけた期間、「自分には向いてない」と何度も苦悩した。それでも多くの後輩が鳥谷を慕い、尊敬する。「本性」を知れば、そりゃそうだよな、と納得する。【阪神担当=佐井陽介】