訃報の翌04年1月1日。阪神1年目スタートの日、鳥谷は聖望学園野球部の同期たちと儀式を始めた。「あきら会」。命日になると毎年必ず、西武鉄道・飯能駅近くの居酒屋に集まって黙とう。その直前には各自で墓参りに向かい、線香を手向ける。「みんな家族がいるのに今も元日に集まるって、すごいよね」。プロ生活14年。それは仲間と歩んできた軌跡でもある。

 高橋さんは生前、目を輝かせて「トリはすごい! きっとプロで活躍できる!」と両親に自慢していたという。鳥谷は希望の星だった。「だからオレ、頑張らないとね…」。夢を託された男は、強い。肋骨(ろっこつ)骨折に腰椎骨折、右脇腹肉離れ、そして今季は鼻骨骨折…。天国から声援をくれる友を思えば、どんな苦境にも屈するわけにはいかない。

 絶不調に陥った昨季、遊撃の座を失った。凡フライを落球する場面も1度や2度ではなかった。四方八方から非難される中、実は目に異変が起きていた。ある方向が見えづらくなっていた。「原因はストレスです」。オフに病院で告げられ、思わず絶句した。

 「鳥谷は終わった」-。巨大な重圧に打ち勝つには練習しかなかった。冬を待たず、昨季終盤から集中的なウエートトレを開始。「体の動きを分解して、一からやり直した。全部の動きに意味を持たせて」。打撃フォームをもう1度突き詰め直し、鳥谷は「不死鳥」のごとくよみがえった。

 大台到達。個人記録より喜び涙してくれるファン、仲間の姿がうれしかった。

 「同級生だったり、周りの人たち、お世話になった人たちが2000本を待っていてくれた。そういう人たちに伝えたい」

 ありがとう-。鳥谷はクールな仮面を少しだけはぎ取り、最後にもう1度頭を下げた。【佐井陽介】

 ◆鳥谷敬(とりたに・たかし)1981年(昭56)6月26日、東京都東村山市生まれ。聖望学園3年夏に甲子園出場。日田林工戦で初戦敗退も3番ショートで3打数2安打2打点、救援登板では3回2/3を1失点。早大では青木宣親(現メッツ)らと同期で、2年春にリーグ3冠王。03年ドラフト自由枠で阪神入団。プロ野球2位の1877試合連続出場を継続中。12年開幕から16年7月23日まで、歴代4位の667試合連続全イニング出場。10年の104打点は遊撃手で史上最多。11年最高出塁率。ベストナイン6度、ゴールデングラブ賞4度。13年WBC日本代表。14年オフに海外FA権を行使し、大リーグ移籍を模索したが残留。180センチ、78キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸4億円。