鳥谷の早大時代の監督、野村徹氏(80)が2000安打を記念し、日刊スポーツに特別寄稿した。西武ファンだった高校時代から、東京6大学リーグ4連覇に貢献した大学時代の素顔、阪神を選んだ理由などをざっくばらんに本音で回想。進化を続ける愛弟子にエールを送った。【取材・構成=花井浄、松井清員】

 鳥谷は確か西武ファンだった。でも、高卒時に西武が指名したのは、当時の高校最多86本塁打の埼玉栄・大島裕行。他球団からも指名がなく、ショックが大きかったようだ。それでも早大のセレクションでは、最初の一振りだけで「こいつはいい」と思わせた。彼は早大のスポーツ推薦入学第1号。人間的、技術的に優れた人材を教授も入れて審査した。

 早大の内野のレギュラーは1桁背番号が伝統だ。1年生で4番を渡すと、上級生から「まだ早い」とクレームが来た。でも力が抜き出ていたし、4年間全試合スタメンで出した。6年間の監督生活で1年生からフルで使ったのは鳥谷だけ。柔道で体幹を鍛えたおかげか、打撃も守備も姿勢が素晴らしかった。

 スポーツ推薦第1号で入ってきた鳥谷ってどんなヤツだろう? 100人の部員は羨望(せんぼう)のまなざしだった。でもその男が、ここまでやるかというぐらい練習熱心。授業も前の方に座って一生懸命話を聞く。だから先生方にも好かれた。テングになるような選手なら、チームは分裂していた。

 プロ8球団から声をかけられた鳥谷が、阪神を選んだ理由は「土のグラウンドでやりたかった」から。人工芝ならバウンドも合わせやすく守備は楽。でも「まだまだ未熟だから、向上していきたい」と。本当に大事なものを知っている。

 本塁打を打ってもクール。インタビューは今もクソ面白くない(笑い)。おいしい場面でも四球を選ぶ。ボール球を振るのはよっぽど調子が悪い時だ。奥さんは高校時代の1歳上のマネジャー。原点を知っている人と愛を培った、内助の功も大きいと思う。

 3番鳥谷がチームを引っ張り、東京6大学リーグで4連覇できた。2番青木は足を生かすゴロを打てと言っても、ヨソ見している間に大きいのを狙ったりするからいつも怒られ役。対照的に鳥谷は4年間1度も怒ったことがない。人の3倍練習するし、人間科学部だけに食事の取り方までが完璧。怒る理由がなかった。

 その2人が同じ年に2000安打を打ったことは、指導者冥利(みょうり)に尽きる。鳥谷も青木も1年でも長くプレーして楽しませて欲しい。ただ、鳥谷の高い向上心を考えると、本当に欲しいのは2000安打ではなく、リーグ優勝と日本一だろう。心から応援している。

 ◆野村徹(のむら・とおる) 1937年(昭12)1月1日生まれ、大阪府出身。北野高から早大に進み捕手として活躍。大昭和製紙(静岡)で70年、監督として都市対抗優勝。85年に阪大特別コーチ。その後、近大付(大阪)の監督を務め、88年に春夏連続で甲子園出場。99年に早大第16代監督就任。在任6年12季で同校初の4連覇などリーグ優勝5回。藤井秀悟、鎌田祐哉、東辰弥、江尻慎太郎、和田毅、比嘉寿光、鳥谷敬、青木宣親、由田慎太郎、田中浩康、武内晋一らのプロ選手を輩出。