ソフトバンクは、マジック1で迎えた西武22回戦(メットライフドーム)で圧勝し、球団はパ・リーグ18度目、1リーグ時代を含めると20度目のリーグ優勝を飾った。

 ソフトバンク投手陣の精神的柱、和田毅投手(36)が、日刊スポーツに手記を寄せた。5年ぶりに米国から日本球界に復帰した昨年は15勝と活躍も、今季は5月に左肘のクリーニング手術を受け長期離脱し、わずか4勝。戦列を離れた悔しさを受け止め、ポストシーズンで快投して日本一に導く覚悟を記した。

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 正直、うれしいけれど悔しい優勝となりました。まさか4カ月もチームを離れるとは。キャンプ、オープン戦と順調でした。左肘痛に悩まされたのは開幕投手としてロッテに勝った翌日から。昨秋のメディカルチェックで左肘の後ろ側に遊離軟骨があることは知っていたけれど、それが関節に挟まって悪さをするとは。しかも、開幕して2試合目での離脱とは、自分でもビックリでした。

 5月に左肘のクリーニング手術を受けました。9月には復帰したかったので。医師の先生も復帰優先で必要最低限の手術をしてくれた。思った以上にリハビリは順調で8月中旬には2軍で実戦復帰できた。それでも、1軍復帰となった8月27日ロッテ戦は、前日からものすごく緊張していた。東浜、千賀で連敗しての3連戦3戦目。好調ロッテ打線にボコボコに打たれたら…。

 当日、家を出る時に妻(かすみ夫人)と小学5年生になる娘から手紙をもらいました。ヤフオクドームのロッカーに着いて開けると、2人の言葉で「リハビリを一生懸命に、すごく頑張っていたよね。絶対大丈夫だから」と。不覚にも泣いてしまいました。緊張の糸が一気にほどけましたね。復帰登板でいい投球ができたのも手紙のおかげ。14年にカブスでメジャー初勝利挙げた時も、次打たれたらクビかもと、極度の緊張状態だった。でも、練習中に球場に来た2人の顔を見て落ち着いた。その時と本当によく似ています。

 36歳でリハビリする日々に思いました。年取ったおっさんでも、こうやってちゃんと練習やっているんだという姿は見せたい。東浜とか千賀も10年後には36、37歳になる。その時に「そういえば和田さん、今の俺の年齢でもこんなことやってたな」とか「こういうことを若手に言っていたな」とか思い出してほしい。そういうのを伝統としてほしい。僕は嫌われ役になっても構わないので、気付いたことは言うようにしている。「もっと長い回を投げろよ」「また5回持たないのかよ」と。僕がルーキーだった03年の日本一の時には、斉藤和巳さんがいた。理想とするエース像、チームの精神的支柱。まだ足元にも及ばないけれど、僕もああいう存在になりたい。

 家族のためにも、米国から戻ってきて温かく迎えてくれたホークス、ファンのためにも、ポストシーズンで日本一をつかむまで投げ続けたい。昨年の終盤、今年の4カ月投げられなかった悔しさをぶつけたいですね。(ソフトバンク投手)