阪神金本知憲監督(49)が6日、楽天の星野仙一球団副会長の死を悼んだ。兵庫・西宮市内の球団事務所で対応。「私も昨日の夜遅くにうわさを聞きまして、朝、正式に聞くまでは、ウソであってほしいなと思いながら、夜中、何回も目が覚めた。いまだに受け入れられない。(昨年12月の)殿堂入りパーティーの時に控室で少し話しをさせていただいて。わずかな時間ですけど『しっかりブレずに自分の思うように頑張って、絶対、阪神強くなるから辛抱してやれよ』と言ってもらいました」と話した。

 金本監督は現役時代、広島からフリーエージェント宣言した02年オフに当時、阪神監督だった星野氏から熱心に誘われて阪神入団を決意した経緯がある。03年には主力として18年ぶりのリーグ優勝に貢献。師弟関係を結ぶ間柄だった。悲しみを押し殺すように「2002年のオフ、僕がフリーエージェントの権利を取って星野さんが監督じゃなかったら、間違いなくタイガースには来ていないと思います。星野さんが監督をやっていなかったら、2003年も2005年も、まず優勝はなかったと思います。僕も2回、優勝させてもらって、本当にいい思いをさせてもらって、星野さんのおかげだと思っています。僕のなかで、関西の父親代わりですね」と感謝した。

 鉄人と称された野球人生の原点とも言える恩人だ。星野監督の印象に残る言葉を問われると神妙な表情で「一番は広島時代です。達川監督でしたか。試合前の練習か何かで、星野さんが達川さんに向かって『タツ、なんだかんだ言うて、休まん選手が一番、監督はありがたいよな』という言葉を言われていて、ああ、監督というのは、そうなんだと分かってきて『だったら、休まないよ』と。ある意味、僕のフルイニングの記録というのは、そういう星野さんが達川さんに言った言葉もすごく大きかったと思います」と振り返った。