楽天の星野仙一球団副会長が4日午前5時25分に死去した。70歳だった。「闘将」と呼ばれ愛された男は、胸に響くいくつもの言葉を残した。

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 ◆「アイツら(中村武志や山崎武司ら)が若いときには期待してるから確かにあったが、俺は結婚して家族ができた人間には手をださないよ」(中日監督時代、鉄拳制裁と言われることに)

 ◆「まだ平幕優勝みたいなものだ。大きな仕事が残っている。明日からまた厳しくするぞ」(88年、中日就任2年目にしてリーグ優勝)

 ◆「これで優勝できんかったら、えらいことになるやろ」(開幕11連勝で始まった99年シーズン途中に)

 ◆「東京にもこんなにドラゴンズファンがいたんですね。ありがとう」(99年9月30日、中日監督2度目のリーグ優勝)

 ◆「ああ、しんどかった。夢にやっと日付を付けることができました」(03年阪神優勝決定インタビュー)

 ◆「こんなんで満足なんか? 足りん! もっともっと勝たないかん。勝ちたいんや」(03年シーズン中、番記者とのお茶会で何度も繰り返した)

 ◆「ベッカムがなんぼのもんじゃ!ウチの選手の方が男前!」(03年、国立競技場にやってくるベッカム擁するRマドリードについて)

 ◆「日本最強のメンバー。1番輝くものを狙いにいく。上原の欠点は1球でわかった。おれが立ち直らせる」(08年7月17日、北京五輪最終メンバー発表。不振の巨人上原浩治投手について)

 ◆「北京ではぶざまな野球はしません。日本の野球をしっかりと世界に見せつけてきます」(08年8月9日。北京に旅立つ前日、日本代表は東京ドームでセ・リーグ選抜に惨敗)

 ◆「楽天は新しいチーム。東北を、仙台を熱くするのが私の仕事だ。歴史を築く第1歩にしたい。悩んだが、杜の都を熱くさせてやろう」(10年10月27日、楽天監督就任会見)

 ◆「人生の中で、最も大きな困難、苦難を経験している。でも弱音は絶対に吐かない。困難、苦難は、乗り越えることができる人間にしか、降りかかってこない」(11年3月20日、東日本大震災で仙台に戻れない時期に)

 ◆「成功の反対は失敗じゃない。何もしないことだ」(11年シーズン中、記者との雑談の中で)

 ◆「お前ら、東北のファンの前で、何て言ったんだ! 闘争心が足りない! もっと気持ちを出せよ! 負け方が悪すぎるんだ!」(11年5月20日、西武に完敗後に最初の大カミナリ)

 ◆「3年前の震災から考えると、東北の皆さんの苦労を少しでも和らげたかった。これで全てをお返ししたわけじゃないが、少しずつ東北の皆さんと光り輝き、歩んでいきたい」(13年9月26日、リーグ優勝後の場内インタビュー)

 ◆「強い巨人じゃなきゃ、つまらないじゃないか。巨人、巨人と意識するのも、俺が最後かもな」(13年、日本シリーズの相手が巨人となり)

 ◆「私は、五輪の野球競技はアマチュアに返すべきと考えている。アマ選手の夢、目標に位置づける方がいい。オーバーエージ枠としてプロから3~5選手を選ぶ。ただしプロの招集は25歳前後まで、年齢の上限を設ける。若者に挑戦させる形がベストだ」(16年7月、東京五輪で野球、ソフト競技の復活が決まり)

 ◆「後発のサッカーはクジをやっている。プロ野球もクジを導入すべきだ。集まったお金は、プロ野球は一銭もいただかない。アマチュア球界の環境整備、強化費に使ってもらう」(17年7月3日、球界へ提言)

 ◆「生きている間に楽天と阪神の日本シリーズをやる」(昨年12月1日、大阪で開催された野球殿堂入りを祝う会で)