俺たちが星野魂を-。中日岩瀬仁紀投手(43)が6日、愛知県内で取材に応じ急逝した星野仙一氏(享年70)の遺志を継ぐ決意を示した。プロ1年目の99年開幕戦でめった打ちされたが、星野氏はリベンジの機会を与えてくれ、セットアッパーとして育ててくれた恩師。前人未到の954試合登板と404セーブも星野氏がいなければなし得なかったという。今季から兼任コーチに就く球界最年長は結果で恩に報いる覚悟だ。

 ショックを隠すように、岩瀬は語った。「まさかという感じでびっくりしている」とうつむいた。

 真っ先に思い出すのは19年近く前のこと。99年のプロ初登板はいきなりの開幕戦。好投の川上を継いでリリーフ登板したが、広島の前田、江藤、金本とプロの一流に3連打を浴び、1死も取れず逆転された。

 岩瀬 開幕戦の時に打たれたんですけど、試合後に「あれは俺のミスや」とかばってくれた。2軍行きかと思っていたら、すぐ(挽回の)チャンスをいただき、そこから開き直って、がむしゃらに投げたら、ずっと結果が続き始めた。

 即戦力に期待されていたとはいえ、1人の新人だ。当時の星野監督は細身の左腕を見切らなかった。キャンプからリリーバーとしての高い能力を見抜いていた。監督の思いに応えようと、必死に腕を振った。そして昨年、前人未到の954試合登板を達成。史上最多404セーブを積み上げていた。左肘の故障から復活した今年はカムバック賞を受賞した。昨年の殿堂入りパーティーで星野氏に「ここまでやるとは」と言ってもらえたという。

 岩瀬 監督の時は厳しい言葉があった。でも離れてからはすごく優しい言葉をかけてくれるようになって。あらためて器の大きさというか、自分が思っている以上に考えていてくれたんだな、と思います。

 岩瀬の1年目に優勝。監督の胴上げのあと「なんでおまえと(川上)憲伸は俺を胴上げせんのや」と言われたという。もみくちゃになった歓喜の輪の中でのこと。「そこまで見ている方なんだなと思った」と懐かしそうに振り返った。

 闘将の魂を継承する使命がある。来季から兼任コーチの肩書がつく。「プロの世界に入って一番最初の監督。プロの厳しさを教えてもらった。最初でよかったと今すごく思う。あれだけの存在感と影響力を与える人はなかなかいない。それを直接やってきた人たちが、少しずつでも伝えていければいいのかな」。5年連続Bクラス。これ以上、恩師に怒らせるわけにいかない。【柏原誠】