プロ野球広島の内野手で、国民栄誉賞を受賞した衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が、23日夜に上行結腸がんのため東京都内で死去したことが24日、分かった。71歳だった。

 衣笠氏とチームメートで、ライバルでもあった元広島監督の山本浩二氏(71)は「5日前のテレビ中継の解説を見ていて少し心配していた。数年前から顔色が悪かった」と肩を落とした。訃報は23日夜に聞いたといい、24日は都内で近親者で営まれた通夜に参列した。強い風雨の中、自ら車を運転し、厳しい表情で施設に入った。

 2人は同学年だが、山本氏の広島入団は衣笠氏の4年後。一番の思い出は75年7月19日のオールスター第1戦(甲子園)。1回裏に全セの3番山本、6番衣笠が太田(近鉄)から1発を放つと、2回裏に山本が、3回裏には衣笠が山田(阪急)からまたも1発。2打席連続本塁打の競演に「あそこから『赤ヘル旋風』という名前が付いたと記憶している」。前半戦を3位で折り返した広島は2枚看板の球宴旋風から勢いづき、球団初優勝を遂げた。

 「休みたいと思っても彼がそばにいる限り休むことは許されなかった。最高のライバルであり、お手本になる選手だった」。2人の公式戦のアベック本塁打86度は王と長嶋(巨人)の106度に次ぐ歴代2位。引退は1年違い。山本氏が引退した86年、公式戦最後のヤクルト戦最終打席で本塁打を放ち「お前も打ってくれ」と伝えると、衣笠氏は「俺も打ちたかった」と2者連続アーチをかけた。山本氏の背番号8、衣笠氏の背番号3はともに永久欠番になった。

 昨年春に一緒にトークショーを行った際に「大丈夫か」と聞いた山本氏に、衣笠氏は「大丈夫」と笑っていたという。今年1月4日には、東京6大学時代からの盟友・星野仙一氏が死去。山本氏は再び寂しい別れを迎えることになった。