横浜(現DeNA)、巨人で活躍した村田修一内野手(37)が今季最終戦に臨んだ。「4番三塁」でスタメン出場。規定により8-8の引き分け。村田修一の最終戦は5打数1安打で終えた。試合後のセレモニーで現役引退を表明した。

スピーチは下記の通り。

このBCリーグがなければ昨年の時点で引退をしていた選手だったかもしれない。チャンスを与えてくださったBCリーグ、そして温かく迎え入れてくれた栃木ゴールデンブレーブスのみなさま、本当に感謝しています。最後まで「4番三塁」というポジションを与えていただき、今日まで野球をすることができた。

このBCに来て、過酷な環境の中で切磋琢磨(せっさたくま)する若い選手たち、過酷な移動の中で頑張る選手たちとともに、野球をしてきて、本当に楽しかった。心からBCに来て1年間、野球ができてよかった。いろんな葛藤はありましたが、みんなに支えられて今日まで野球をすることができた。ファンの皆さまにも本当に感謝しています。

今日をもって私は現役を…。今日をもって私は現役を引退します。

ベイスターズに入団して9年、ジャイアンツで6年、そしてゴールデンブレーブスで1年。本当にいい野球人生だったと思います。今日、満員の球場で野球ができて幸せだった。いろんな壁にぶつかりながら、必死に乗り越えてきた。いろんな指導者のもと野球ができた。幸せでした。

小学校3年から野球を始めて、今年でちょうど30年になります。いつも近くで応援してくれた両親。どんなときも車を出してくれて、ビデオを撮ってくれて、そんな両親のもとで野球ができて幸せでした。ここまで大きなケガもなく野球ができたのも両親のおかげだと思っています。そして、栃木の(義理の)お父さん、お母さん、若い選手を食事に連れて行ったときも、いつも温かく迎え入れてくれてすごくうれしかったです。若い選手たちも本当に喜んでいました。これからも若い選手たちをよろしくお願いします。

何より家族に感謝しています。いつも、近くで温かく迎えてくれて、愚痴も言わずに、近くで支えてくれて本当にありがとう。閏哉(じゅんや)、未熟児で生まれた君が頑張っている姿を見て、いつも勇気をもらいました。今日まで野球を頑張ってこれたのも閏哉が、いつも近くで頑張ってくれたからです。ありがとう。凰晟(こうせい)、泣きながらいつも野球を教えてくれって、言ってくる君の姿が、負けず嫌いだった私を思い出すようで心強い。これからも野球を頑張って。いつも心から応援しています。瑛悟(えいご)、大きくなってもパパが野球選手だったことを覚えてくれているから、またキャッチボールをやろうな。

村田修一としての現役生活は今日で終わりますが、村田修一としての人生は、まだまだ終わりません。息子たちとともに勉強していくことがたくさんあると思っています。息子たち一人前の男にしていく父親としての役割を全うしながら子どもたちとともに前を向いていきたいと思います。

自分がやってきた30年間の野球人生に悔いはありません。皆さまに支えられて本当に楽しい現役生活を送ることが出来た。ありがとうございました。

いつかまた、みなさんの前で笑顔で会えることを願って、村田修一、最後のあいさつをさせていただきます。みなさまに感謝、本当に感謝しています。長い間、ご声援、誠にありがとうございました。