日刊スポーツでは長期連載「野球の国から」の新シリーズ「平成野球史」を、新元号となる来年5月まで掲載します。時代を変えた野球人、時代を彩った名勝負、時代を揺るがした事件。「平成」を深掘りして考察します。

第1回は古田敦也氏(53)。選手として、労組の選手会会長として、野球の歩みを紡ぎ、前へと進めた最重要人物が語ります。9月11日からの紙面でお楽しみください。

予告編として、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。

<取材後記>

古田敦也は滑舌のはっきりした語り口で、よどみなく話した。古い話でも記憶は鮮明で、昨日のことのように振り返った。ファンサービスの話になった時、出てきたのは新庄剛志の名前だった。

2004年(平16)オールスター、長野で行われた第2戦。0-0の3回2死三塁。全パの「SHINJO」がホームスチールを成功させた。当時、三塁側の全セのベンチにいた古田は、その直前のことを振り返った。

「こっちを見て、ジェスチャーで行っていいですか? ってやってるんですよ。かわいいじゃないですか。勝手にやればいいのに。いけいけってなりますよね。最初、監督に向けてやってるのかなって横を見たら、岡田さんと落合さんと堀内さんは見向きもしない。新庄は一生懸命、行っていいですか? ってやってるけど、見てない。だから、やれやれって言いましたね」。

06年、兼任監督に就任した時に今まで以上にファンを喜ばせたいと考えた。新庄のことが頭に浮かんだ。参考にできる部分を探した。「エンタメの面でね。あんなことできないけどね」。古田もある意味、一目置いた新庄。その足跡にも興味が湧いた。【竹内智信】