セットアッパーとして活躍し、11年にセ・リーグMVPに輝いた浅尾拓也投手(33)が26日、今季限りでの現役引退を表明し、ナゴヤドームで会見に臨んだ。29日の阪神戦(ナゴヤドーム)で現役最後のマウンドにあがる。引退会見で一問一答は次の通り。

-引退を決断したのは

「ここ3、4年、悩みながら現役を続けてきた。1軍に上がって、これでダメだったらと、1試合1試合やってきた。プレーしているときは、やめるとは決めていなかった。最後の巨人戦(9月16日、東京ドーム)で3点を取られたときに、これぐらいなのか、と正直思った」

-ドラゴンズでの12年間はどんなプロ野球人生だったか

「中日ドラゴンズに入らせていただき、いろんな先輩に指導していただいた。同期、同級生、応援したくなる後輩たちと出会えて幸せだった。いいときも悪いときも見てくれたドラゴンズファンに感謝している」

-プロ生活でもっともうれしかったのは

「一番はない。初登板も、初勝利も、開幕投手も胴上げ投手もさせていただいた。幸せな野球人生を過ごさせていただいた」

-つらかったこと、苦しかったことは

「投げられない時期が一番悔しいです。ここ2年間はケガすることなく、2軍で1年間通してできた。それよりも結果が出る、出ないを別として、投げられないとき(16年)が悔しかったし、つらかった」

-12年の中で、一番の思い出は

「個人の記録もうれしいけど、チームが優勝して連覇もして、ビールかけを連続でできたことのが本当に楽しかった。それをみんなで味わって欲しいと今後思い続ける」

-ここ数年チームが低迷しているが

「今年1軍に1カ月ほどいて、大差の負けゲーム、点差の開いているところで登板した。自分がいることでチャンスが減っている選手もいる。自分じゃなきゃいけないのか、と思うときもあった。最後はいい場所で終わりたかった。それは今後強くなることを願っている」

-ファンに向けて

「たくさんの声援をいただいたのは、球場にいても分かった。復帰登板に応援してくれた。ケガする自分が悪いんですが。ファンからの手紙で、活躍に励まされていると書かれていて、その言葉にこっちが励まされた。自分なんかを応援してくれて、ありがとうと伝えたい」

-ラスト登板は

「29日に引退セレモニーをさせていただく。たぶん1人と対戦する。いままでやってきたこと、いま出せる精いっぱいのことを出したい」

-引退は家族に伝えてどうだった

「あっそうか、というくらいでした」

-今後のプランは

「何も決まっていない。自分の人生もまだ半分くらいある。ゆっくり考えていきたい」

-プロ生活で一番良かった時期は

「自分の中ではMVPの年(11年)より、その前年の方が一番調子が良かった」

-10年の頃の投球をもう1度取り戻そうとしてきたのか

「スピードが140キロの中盤になってきたときから、スタイルを変えようと取り組んだ。右投手だと140キロ前半だと球を見られてしまう。それでスピードを出そうと焦ってしまった。何とか覆そうと結果にこだわった。取り戻したいというより、新しいスタイルを探すつもりでやった」

-心に残る1球は

「一番いい1球は…。ナゴヤドームの巨人戦で高橋由伸さんに投げたインコースのストレート。どんな場面か思い出せないけど、その1球だけが残っている。(スピードは)156キロくらいだったかな」

-選手で最初に伝えたのは

「吉見かな。自分も吉見も同じような苦しみを味わった。吉見がいたからがんばれた。同級生で投手で、先発と中継ぎと違うが、同じように上がって、同じように落ちていった。苦しみも互いに分かっている。吉見が苦しいときも、自分が苦しいときも話をした。一番近くで、励まされたり、頑張らなければと思った。たぶん吉見ですが、岩瀬さんかもしれない」