元ヤクルト球団社長の多菊善和(たぎく・よしかず)氏が7日午前5時8分、肺炎のため死去した。82歳だった。

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ヤクルト多菊社長は歯に衣(きぬ)着せぬ人だった。何度か、その言葉の強烈さに驚かされた。03年、当時の巨人渡辺オーナーが退任する意向を示したことについて聞いた時には「いいことじゃないの。あの年(76歳)までやったら老害になっちゃうよ」と言ってのけた。

同年オフの10月にはFA宣言を迷っていた高津を引き留めないのか? と聞いたところ「やってみればいい。どれだけの価値があるか」と言って、結果的に背中を押してしまった。

口を滑らせてしまうことはあっても、記者を遠ざけようとはしなかった。04年当時、東京・新橋にあった球団事務所の5階から1階にエレベーターが降りるわずかな間に「若松監督に続投要請するつもりだ」と聞かされた。30歳以上年下の記者にも、飾らず正直に話す紳士だった。

新橋駅前のビルの地下にあった、うなぎ屋やそば屋で昼食をごちそうになった記者も多い。美食家の名物社長だった。【竹内智信=03~04年ヤクルト担当】