高木さんは「家族と過ごす時間を持ちたい」と打ち明けた。本人の正義感を知るだけに、どれだけ自分を犠牲にしてきたかは、容易に察することができる。

「2軍」の位置付けはチームの将来を左右する。プロスポーツの取材では、タニマチ、女、酒、暴力団からの“甘い蜜”にはまって短命に終わる姿にも接してきた。お山の大将で入ってくる高卒、大卒選手にとって、一般社会に出るのと同じ。技術を磨く修業の場でありながら、人間形成のプロセスにある。

1軍でプレーする選手は限られ、スターになるのは一握りだ。ユニホームを脱いだ後も、社会で役立つ人材を育てる役割が、ファームには課せられている。

別府大付の後輩で09年オフに阪神入りした城島健司がユニホームの前ボタンを外していると、襟を正すように指摘したのは、先輩の高木さんだった。

その厳格さが、無事故、無違反で、虎風荘の秩序につながったのだろう。一方で、真冬の取材にあたる若手記者にぜんざいを振る舞う気遣いをみせるあたりは、らしいと思った。

現場、フロントのさまざまな仕事に精通し、最も“裏”を知る一人。「ザ・裏方」として尽力したプロフェッショナルの決別は惜しい。次なる舞台での活躍を念じたい。【寺尾博和】

 

◆高木昇(たかぎ・のぼる)1957年(昭32)4月17日生まれ、大分県出身、61歳。77年別府大付から、ドラフト外で阪神入りし2年で退団。79年ゼットスポーツ入社。85年阪神にフロントで復帰し、吉田義男監督付のマネジャーとして、21年ぶりのリーグ優勝、日本一を経験。94、95年中村勝広監督、96年藤田平監督、97、98年吉田監督のもとで1軍マネジャーを務める。99~02年査定担当、03年、05年総務・キャンプ担当で、優勝祝賀会、V旅行などを仕切った。07年はクラブハウスの企画・設計に携わり、07~10年はチーム担当として甲子園球場リニューアルにかかわった。10年から虎風荘寮長。