3度目の「原政権」が幕開けする。巨人原辰徳監督(60)が新春インタビューに応じた。還暦を迎えた指揮官の3度目の挑戦。現役時代を含め、リーグ優勝13回、日本一6回を誇る、百戦錬磨の名将が、球団史上ワーストタイの4年連続V逸のチームを立て直す。【取材・構成=為田聡史】
◇ ◇
昨年10月23日、高橋由伸前監督と並んで3度目の監督就任会見に臨んだ。それ以降、秋季キャンプでは若手選手を熱血指導すると同時に戦力補強も先頭に立って敢行してきた。
「全員の選手のプレースタイルは比較的、なんとなく想像できる。新人選手もそのなかに含まれるかな。楽しみですよ。本当に楽しみです。たぶん(春季キャンプの)1軍スタートは野手が18人ぐらいかな。投手もそのぐらいになるんじゃないでしょうか。幸い、宮崎でやる2週間ぐらいは一緒の敷地内なので、あんまりそこにこだわりはない」
1、2軍のグラウンド、宿舎ともに目と鼻の先で“ほぼ同じ場所”で行う、宮崎キャンプでの入れ替えは自由自在。さらに、2軍練習の視察にも可能な環境にある。シーズンに向けて力を蓄える春季キャンプを見据える。
2月1日から巨人軍のユニホームに袖を通す新戦力獲得に、エネルギーを惜しまずに注いだ。
「結構、仕事をしたね、俺も。短い時間にいろいろな人と話をし、あるいは野球のことを考えた。(監督就任前の昨年の)1月から9月ぐらいまで充実していたとはいえ、その後の濃密さ、濃さというのは、すげー1年だったなと思う」
FAの目玉で丸佳浩、扇の要で炭谷銀仁朗、自由契約となっていた岩隈久志、中島宏之といった面々を口説き落とした。新加入の選手たちは例外なく“原監督の言葉”を決断理由に挙げた。
「僕は正直に言うだけだから、ストレートに。やっぱり、つくった言葉というのは、その次には違う言葉に変わるケースがある。勝負の世界だから、あまりにもこういう感じ(ごますり)で話をしても、ダメだしね。野球人、選手であるならば、ときに先輩、そういうふうな立場で話ができる年齢には来たのかなという感じはします」
試合中のベンチとは異なり、交渉の席で采配を振ることはない。自然体の「真っ向勝負」「直球勝負」を貫いた。グラウンド上でも“言葉”はチームを動かす上で必要不可欠になる。
「ときに叱りながら伝える、目覚めさせる、あるいはどこかに『やる気スイッチ』があるなら、それを押す、そういうものは大事だと思いますね」
02年に長嶋茂雄監督(現終身名誉監督)の後を受けて第1次政権が始まった。2年間の特別顧問を経て、05年から第2次政権は10年間の長期政権だった。今回の第3次政権は、4年ぶりの監督復帰となる。経験値、実績ともに申し分ない。だが、過去の実績は関係なく、新しい戦いが始まる。おごり、慢心は皆無だ。
「僕自身が多少のキャリアというものを盾にチームを作ろうとしたり、あるいは選手を育てようとしたりすることはマイナスだと思いました。だから、キャリアを捨てたと言っているわけですね」
親子ほどの年の差がある若手選手との接し方にも思考を巡らせる。
「自分が18、19、20ぐらいの年齢の時に60歳の人に、ああでもない、こうでもないと言われてもキョトンとする(笑い)。そこは(キャリアを捨てて)新米という部分でいくならば、言葉の使い方であったり、接し方というのは変わってくると思うね。そこが一番大きいと思いますよ」
143試合、長丁場のペナントレースの中でチームは日々変化し、成長する。理想的な勝ち方は一択だが、理想的な試合となれば一択とは限らない。
「もうそれは先制、中押し、ダメ押し。長いペナントレースですから、やっぱり明日につながる勝利。もうひとつ言うなら、明日につながるゲームというのは大事でしょうね。敗戦っていうのもつなげていかなければいけない。まあ致命的な敗戦っていうのは時が来ればあるわけですから、それはその時に考えればいい。やっぱり可能性がある限り、そこ(勝利)を思い続けていきたい。やっぱりつなげるということは非常に大事だと思いますね」
5年ぶりのリーグ優勝が宿命であり、使命でもある。監督として通算13シーズン目は3月29日、3連覇王者の広島との開幕戦が船出となる。
「希望しかないね。ペナントレースというのは長丁場だから。粘り強く、諦めずにというのは、とても大事。開幕から港を出たわけだよね。つまり出航したわけだよね。僕は監督だからスキッパー。要するに船長さんだよね。どういう波が来ようが、どういう状況であろうが、やっぱり勝利、優勝という港に行かせる。それは簡単な道のりではないし、一足飛びにはいけない。それがペナントレースだから。しかし、どういう状況であっても、次のゲーム、明日を迎えるという時には同じ心理状態でいきたいなと思う」
1980年、ドラフト会議で藤田元司監督が4球団(巨人、広島、大洋=現DeNA、日本ハム)の中、くじを引き当て「巨人原辰徳」が誕生した。1981年のプロデビューから選手として15年、監督として12年、巨人の王道を歩んできた。
「ジャイアンツに行きたいと、思ったのが小学校1年生、2年生ぐらい。16~17年で相思相愛になったわけだよね。入れないわけがないと思ったもんね。本当にそう思った。そういう、思うとか、あるいは、信じるということはとても大事だよね」
思う、信じる-。原監督がペナントをかけた戦いに真っ向から挑む。