球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが15日、都内の野球殿堂博物館で発表された。 プレーヤー部門では中日一筋で活躍した立浪和義氏(49)が選ばれた。

PL学園(大阪)を経て87年ドラフト1位で中日入りすると、88年は開幕戦から遊撃手でスタメン出場し、レギュラーで活躍。高卒新人では史上初のゴールデンクラブ賞も受賞した。強打、堅守の内野手で、通算487二塁打はプロ野球記録。通算2480安打は歴代8位を誇る。 立浪氏は「名誉なところに入らせてもらい、あらためて光栄に思います。PL学園の中村監督や、子供のころから野球を始めて、たくさんの素晴らしい指導者に恵まれました。(新人当時の)星野監督には18歳の高校生をいきなり開幕でショートで使ってもらった」と振り返った。立浪氏を祝福する談話は以下のとおり。

 

中日与田監督「勝利に対する執念がすごくあった。ショートを守っていて、彼のプレーに助けられた。ショートからの一言で気持ちを立て直せたときもあった」

中日荒木2軍内野守備走塁コーチ「誇りですね。身長もそこまで大きくなく、あの体で第一線でやってこられた方なので。尊敬します」

中日森野2軍打撃コーチ「お手本でした。すばらしい野球界の名誉を受けられたのは、みんな一緒の気持ちだと思う。立浪さんの姿に追いつこうとしたが、追い越せなかった。体は小さいけど、大きく見える人でした」

中日京田「高卒で1年目でレギュラーを取って新人王。その後もタイトルを取られた。いずれは、ミスタードラゴンズと言ってもらえるように、僕もこのチームで長く野球をやりたいですね」

中日根尾「自分が見ていた時は代打で活躍されていました。印象的でワクワクしながら見ていました」

中村順司氏(元PL学園監督)「プロに入って星野さんに上手に使っていただいたことが今日につながっている。立浪の背中を見て(PLの後輩の)宮本慎也や松井稼頭央、福留孝介らが目標にしたんじゃないかなと思います」

 

◆立浪和義(たつなみ・かずよし)1969年(昭44)8月19日、大阪府生まれ。PL学園では甲子園に3度出場し、87年は主将として春夏連覇。同年ドラフト1位で中日入団。1年目の88年は開幕戦に先発出場するなど、リーグ優勝に貢献して新人王。97年8月22日阪神戦でサイクル安打達成。1試合5安打以上を5度はプロ野球最多タイ。09年に引退し、通算2480安打は歴代8位、487二塁打は同1位。ベストナインを2度、ゴールデングラブ賞を5度獲得。右投げ左打ち。