楽天平石洋介監督(38)が、プロ野球界に新たな道筋を示す。昨季途中から監督代行を務め、今季第7代監督に就任。現役時代に選手としては大成できなかったが、引退直後から1、2軍の指導者を歴任してきた。球団創設15周年という節目のシーズンに誕生した楽天初の生え抜き出身監督が、昨季最下位に沈んだチームを浮上に導く。

名選手、名監督にあらず-。球界にそんな言い伝えもある一方、現役時代の輝かしい実績は無形の説得力を持つ側面もある。平石監督は全てを受け止める覚悟だ。「プロとしての現役生活7年間、僕は何も結果を残していない。『何であいつが監督なんや』と思う人も、いっぱいいるでしょう。でも(選手で)結果を残してるから、指導者としていいかどうかは決められない。やる以上は、腹をくくってやりたい」と語る。

鋼の意志で道を切り開いてきた。入団当時の監督だった田尾安志氏が秘話を明かす。ドラフトを控えた04年秋、中日でコーチやスカウトを務め、かつて田尾氏の担当スカウトでもあった法元英明氏から連絡が入った。「平石という選手を取ってくれないか」。PL学園高-同大-トヨタ自動車と王道を歩んできた選手。「レギュラーを取る力はありますか?」。田尾氏の問いに法元氏は「ない」と即答。「それだったらプロに入らず、トヨタ自動車でお世話になった方がいいんじゃないんですか?」。引退後も大企業で不安なく働けるからだ。それでも平石本人は「お金じゃないんです。とにかく自分の力を試したいんです」。最も低い順位で楽天に指名された。

「松坂世代」初の青年監督となっても、その熱さは変わらない。キャンプでは村林の居残り練習で打撃投手を買って出ると、期待の4年目に400球ほど投げ込んだ。ある時は、予定していたインタビューへ向かう途中にすれ違ったドラフト1位の辰己涼介外野手(22=立命大)を呼び止め、打撃練習を見て気になっていた点について指摘。その場で身ぶり手ぶりの指導が始まった。選手に寄り添う指導者の気質が、染みついている。「昨年最下位で、本当に厳しい道だと思うが、覚悟は十分できています。やる以上は優勝、日本一。そして、我々の姿を見て、皆さんに何かを感じていただけるようなチームでありたい」。簡単でないからこそ、がぜん燃えている。

◆平石洋介(ひらいし・ようすけ)1980年(昭55)4月23日、大分県生まれ。PL学園では主将として3年夏の甲子園で横浜と延長17回の死闘を繰り広げた。同大-トヨタ自動車を経て、04年ドラフト7巡目で楽天に入団した。11年に現役引退し、通算122試合、37安打、1本塁打、10打点、打率2割1分5厘。12年から育成コーチなどを務め、ヘッド兼打撃コーチだった18年は梨田前監督の辞任後に監督代行となり、今季から監督昇格。175センチ、75キロ。左投げ左打ち。

◆30代の監督 80年生まれの平石監督は今年39歳。30代の監督は41年生まれの武上監督(ヤクルト)が39歳の80年に就任して以来。パ・リーグでは76年上田監督(阪急)以来で、上田監督は37歳の74年に監督へ就任、2年目の75年に38歳で日本一監督となった。