元大洋(現DeNA)選手で、横浜ベイスターズの初代監督、のちロッテでも指揮を執った近藤昭仁氏が27日午前1時23分、敗血症性ショックのため神奈川県内の病院で死去した。80歳だった。球界から寄せられてた追悼の声は以下の通り。

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◆元西武監督・森祗晶氏(日刊スポーツ評論家)「ヤクルト、西武でともにコーチを務め、西武監督1年目の時にもコーチで支えてもらった。野球人として評すれば熱血漢そのもの。小柄ながら現役時代同様に野球への情熱にあふれていた印象が強いです。闘病していたことを知らず驚いています。本当に残念です」

◆佐々木主浩氏(日刊スポーツ評論家)「チーム名が変わって、ベイスターズ元年の監督だったからすごく思い入れがある。喜怒哀楽は激しかったけど、非常に人間味のある方だった。具合が悪いことはOB会でも『昭さんの体調どうだ?』と話題になっていたから知っていたけど、本当に残念です」

◆谷繁元信氏(横浜時代に正捕手として起用され)「ベイスターズ初年度の監督で、まだ自分に力がない中で一生懸命に使っていただいた。厳しいところもあり、成長させてもらった監督です。ご冥福をお祈りします」

◆西武辻発彦監督「大変お世話になった。1年目のとき守備コーチで、横浜から所沢に通い(年の)暮れ近くまでずっと見てもらった。最近、電話では具合が悪いなと、大丈夫かなと思っていた。若いときに目をかけてもらったので悲しいです」

◆日本ハム栗山英樹監督「もっと教わりたいことがいっぱいあった。しっかり喜んでもらえるように、頑張ります」

◆ヤクルト石井琢朗打撃コーチ(横浜時代の監督で)「野手に転向してから、怒られながらもずっと試合に使っていただいた。すごく感謝している監督の1人。あの頃があったから、今の自分があります」

◆早大・小宮山悟監督「真っ先に思い出されるのは、ロッテでの18連敗です。早大の大先輩であり、ロッテでは監督と選手。しかも、私は選手会長かつエースという立場でしたので、近藤さんの輝かしい球歴に傷をつけたことが大変心苦しく、また申し訳ない気持ちです。プロ野球記録を更新した17連敗の前後でした。神戸で監督室に呼ばれ『どうにもならん。何とかならんか?』と、愚痴を言われたのを覚えています。普段は選手に弱みなど見せない人でした。こちらは何も言えません。『頑張ります』と答えるのが、やっとでした。面倒見のいい方で、私が当時のロッテ球団ともめたことがありました。その時、横浜(現DeNA)の監督だった近藤さんは『好きなだけ、もめろ。横浜で面倒を持つから』と言ってくださった。その後、ロッテに監督としていらっしゃった。ご縁があったということですね。体調が悪いとは、だいぶ前から聞いていました。ゆっくり、お休み下さい」

◆元ロッテ・サブロー氏(入団3、4年目に指導を受け)「背番号36だったのが『語呂が良すぎる。2番はいい番号だから頑張らないとな』と言ってくれ、1ケタの番号をくれて、うれしかった。その期待に応えることができなかった。自分は若かったけど、よく話し掛けてくれて、コミュニケーションを取ってくれる監督だった」