お母さん、ありがとう-。普段なら照れくさい感謝の言葉も、この日なら言える。5月の第2日曜日は、母の日。野球選手たちの母への思いを紹介する。


阪神木浪

阪神木浪聖也内野手と母・忍さん(左)
阪神木浪聖也内野手と母・忍さん(左)
阪神木浪聖也内野手と母・忍さん(右)。左は父・弘二さん
阪神木浪聖也内野手と母・忍さん(右)。左は父・弘二さん

お母さん、いつもありがとう。ゴールデンウイークは1週間、甲子園まで見に来てくれてありがとう。直接は会えなかったけど、すごく力をもらえました。青森から家族で応援に来てくれてうれしかったよ。青森は遠いから、テレビとか、インターネットでしか活躍する姿を見せることができないけど、またここから頑張るから見ててね。シーズンが終わったら、笑って実家に帰れるようにするね。シンプルな言葉だけど…。いつもありがとう。これからも応援よろしくお願いします。


広島野間

14年、広島新入団選手発表会見後、家族と記念撮影をする野間。左から姉なつみさん、母しのぶさん、右は弟祥明さん
14年、広島新入団選手発表会見後、家族と記念撮影をする野間。左から姉なつみさん、母しのぶさん、右は弟祥明さん

母は、姉と弟と僕のきょうだい3人を女手ひとつで育ててくれました。ゴルフ場のレストランで働いていて、いつも朝早くに家を出ていく。高校に進学するときも、行きたい高校でなく、特待生で迎えてくれる、お金のかからない学校を選びました。それでも野球はお金がかかりますからね。道具代だったり、遠征代だったり。必死に働いている姿を知っているから、いつもすまないと思っていました。そのころは僕が朝練で一番早く出かけていくので、疲れている母を起こさないよう音を立てないようにして家を出ていましたね。負担をかけたくないので、大学に行かずに就職しようと思いました。母だけじゃなくきょうだいにも助けられて、大学に行けたんです。そして、プロになれた。みんな、何をするにしても僕優先でやってくれたおかげです。感謝してもしきれないですよ。いつか母には、家をプレゼントしようと思っています。


ソフトバンク甲斐野

東洋大時代の甲斐野と母映子さん
東洋大時代の甲斐野と母映子さん

 小さいときから父は野球の面で支えてくれて、母にはそれ以外の面で毎日サポートしてもらっていました。高校の時には、母は野球も分からないのに打席やピッチングのスコアをノートに取ってくれていた。試合のあとに見て、こんなことをしてくれていたんだと驚きましたし、うれしかったです。中学校までは実家にいましたが、末っ子ということもあってよく甘えましたね。保育士さんだったので、子育て上手な母親だったと思う。すごく素直な性格に育ててもらいました。


巨人山口


お母さんから学んだことは「素直でありなさい」ということです。大人になるためには素直に話を聞くことが大事だと言われていました。何歳になってもそれは大事なこと。野球に関しても同じです。先輩の話はもちろん、後輩の話もシャットアウトすることなく、素直に聞いて、その中で自分で解釈する。能力だけじゃなくて、そういう部分が大事だと思う。チームの後輩にも同じようなことを話します。聞き入れづらいことでも、いつか自分の中の引き出しとして役立つことがあるので。母の日には毎年何かプレゼントを送っていますよ。花とかよりも物をあげることが多いですかね。今年ももちろん送ります。


巨人大城

巨人大城が描いた母の似顔絵
巨人大城が描いた母の似顔絵

おかあ、ありがとう。小、中学生のときに毎日、練習から帰ってくるとおいしいご飯を作ってくれた。ご飯を残したときはすごくしかられました。めちゃ量が多かったので当時はすごく嫌だったけど、今こうして丈夫な体でプレーできているのは、おかあのおかげだと思います。試合の日の弁当でポーク卵おにぎりが大好きでした。それを食べて頑張れました。高校から寮生活だったので両親のありがたさを身に染みて感じました。今となれば県外に出て良かったなと思います。これからは活躍して恩返ししていきたいです。東京ドームに招待できるように頑張ります。これからも応援、よろしくお願いします。


巨人ヤングマン

巨人ヤングマンと母シャロンさん(ヤングマン提供)
巨人ヤングマンと母シャロンさん(ヤングマン提供)

米国ではピンクの道具をつけてプレーするんだけど、マイナー時代には当日にプレーしたことがあるかな。もちろんプレゼントを贈るよ。アクセサリーや花が多いかな。お母さんからは人に対する態度やマナーについて学んだね。丁寧に人と接しようと心がけているのは母の影響が大きい。テキストでは毎日のように連絡をしているけど、ビデオ通話では時差があるから週1回くらい。14日に両親が日本へ来るのでとても楽しみにしているよ。一緒に過ごす時間を大切にしたいね。去年は2軍の試合でひたちなかの球場に来てくれた。今年は1軍の試合で勝利を見せたい。最後に、お母さん愛してるよ。I Love you.


ヤクルト・スアレス

母ラウラさんとヤクルト・スアレス(本人提供)
母ラウラさんとヤクルト・スアレス(本人提供)

ベネズエラの母の日は、家にバンドを呼んで生演奏したり盛大に祝う習慣があるんだ。僕の母は、派手なことがあまり好きではないタイプだけど、毎年プレゼントは渡している。この前は、コーヒー好きの母のためにマグカップを贈ったよ。子どもの頃は、野球をやっていた僕と弟のロベルト(現ソフトバンク)のために、練習の送り迎えを毎日してくれて、感謝している。実は、そんなに裕福な家庭ではなかった。12歳の頃、1点差で負けている試合で僕に打席が回ってきた時、見に来ていた母が「ここで打ったら、靴を買ってあげる!」と言ったんだ。それで、僕が見事にホームランを打って勝ったこともあった。母から教えてもらった中で、頭に残っているのは『物を大切にすること』。一足の靴を、専門店で修理して長く履いていた。弟は、よく僕のおさがりの服を着ていたよ。靴は、僕の方が足が大きかったから履けなかったけどね(笑い)。


オリックス中川


お母さんは高校入学した頃から今もいつもLINEで励ましの言葉を送ってきてくれます。子どもの頃はたくさん苦労をかけた分、元気な姿でプレーし恩返しが出来ればいいと思います。今こうして野球が出来てることに感謝したいです。これからたくさん苦労があると思いますけど乗り越えていかなければならないと思います。お母さんに活躍してる姿を見せられるように日々努力し、もっともっと頑張っていきたいと思います。


DeNA大貫


お母さんいつもありがとう! こうして今元気でいられるのもお母さんが健康な体に産んでくれたからだね! 大変なこともたくさんあったけど、これから恩返しできるように頑張ります! いつまでも明るくてすてきなお母さんのままでいてください! 長生きしてね!


中日鈴木博


お母さん、いつもありがとう。お母さんに高校時代にお弁当を作ってもらったことが一番の思い出かな。磐田東高時代は寮生活で学校では寮のお弁当を食べていたんです。でも、体をつくらないといけないと、2、3年生のときは毎日手作りのお弁当を車で1時間ほどかけて届けてくれました。その2つを食べて、いまの体がつくられたと思います。お母さんの手料理で一番おいしかったのは、水ギョーザ。(母の出身の)中国ではお祝い事で水ギョーザを出すそうです。それを時々作ってくれました。日本のギョーザと違って、皮が厚くて、海老とかも入ってて、うまかったですね。


日本ハム平沼

成人式の日に母美佳さんと記念撮影する日本ハム平沼
成人式の日に母美佳さんと記念撮影する日本ハム平沼

心配性で、僕のことをいつも気にかけてくれています。小学生の時、ドッジボールで肩を脱臼したんです。オカンが学校まで迎えに来てくれたんですが、いつもはノロノロと走らせる車が、その時は何キロ出ていたのか…。ブオーンという音とともに、病院まで連れて行ってくれました。その時に「これが母親か…」と感じました。この間、死球を受けた時も連絡がきていましたね。


西武今井


僕の母親はたくましいというか、タフな人ですね。岩手の出身で、携帯の電波も入らないような山奥に実家があって、小さい頃から家の農作業とかも手伝っていたようなんです。そういう人なんで、僕が小さい頃から自分にお金をかけないんです。ぜいたくもまったくしない。入学式とか卒業式とか特別な日以外は、化粧をしたところを見たことがありませんね。今はこうやってプロ野球選手になれましたけど、一番苦労したのは母親だと思います。看護師をやっているんですけど、甲子園に出たときも試合の日にきて、終わったらその日のうちに帰って、翌朝仕事にいってました。それでまた次の日に甲子園にきて。本当にタフですよね。ずっと応援してくれていますけど、感謝の気持ちとかを直接伝えたことはないです。昨日、LINE(ライン)がきて「明日は何の日?」って入ってましたけど。そんな母親います?(笑い)たしかに母の日に何かしたこともないんですよ。でも去年、車をプレゼントしました。小学6年生の弟が今、学童野球やっていて、配車当番があるらしくて。大きい車が欲しいって言っていたので、ワンボックスのたくさん乗れるのを新車で。今までの気持ちを込めました。メットライフドームに来るときも、その車で応援に来てくれています。


楽天古川


パートの仕事を掛け持ちして、いつも夜遅くまで働いてくれていました。経済的にそんなに余裕はなかったと思うけど、野球だけは不自由なく続けさせてくれましたし、仕事で疲れているはずなのに、毎日栄養バランスを考えたお弁当をつくってくれました。お弁当プラス、最低でも5個のおにぎりやサンドイッチとかもつくってくれたので、細かった体も大きくなりました。高校時代に甲子園に出られたのも、プロに入れたのも、お母さんのおかげです。本当にありがとう。もっともっと活躍して、喜んでもらえるように頑張るからね。


ロッテ田村


おかんかあ。おかんには、ようしばかれとったからな。そういう思い出しかないなあ。クリスマスには必ずプレゼントは買っとるし、今年は財布あげたな。今回も何かしたいと思ってるから、少なくとも花束くらいは送りたいと思ってるけどな。


国学院大・横山楓投手

4月8日、立正大との開幕戦で今季1勝目を挙げた横山は、宮崎から上京した母と再会。この日が45回目の誕生日だった母香子さんの手にはウイニングボールがしっかり握られていた
4月8日、立正大との開幕戦で今季1勝目を挙げた横山は、宮崎から上京した母と再会。この日が45回目の誕生日だった母香子さんの手にはウイニングボールがしっかり握られていた

小さい頃、お母さん(香子さん、45歳)は仕事で忙しくても、僕の野球のことを第一に考えてくれました。おかげで、野球に集中できました。名前の「楓」は、僕が1歳の時に他界した父がつけてくれました。楓は、いろんな植物の中で最後に色づくそうです。僕は、まだ野球で結果を出せていません。楓のように、これから、きれいに色づき、野球で花を咲かせたいです。活躍する姿を見せることが、お母さんへの恩返し。少しでも楽をさせて、親孝行ができればと思っています。