青森にアップルフライが打ち上がった。西武外崎修汰内野手(26)が、青森・弘前に凱旋(がいせん)し、貴重な犠飛で勝利をもたらした。3回、1点先制直後に中堅への犠飛。両親、知人ら約150人が見守る中、攻守において何色にも変わる変幻自在のユーティリティー・プレーヤーが、りんごの国で輝いた。

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黒子役の打球は高く舞い上がり、きれいな弧を描いて中堅のグラブに収まった。外崎が放った中飛は三塁走者を生還させる犠飛となり、貴重な1点をもたらした。源田が犠打で送った好機に「いい場面をつくってくれて大きいのというよりは最低限の仕事をしようと思った」。チームのためにあえてアップルパンチ(本塁打)を捨てた。すべては勝利のためだった。

右翼ポールの先に岩木山を望む球場は慣れ親しんだ場所だった。当時まだ土だった球場で、泥だらけで白球を追いかけた。「小学校の時は外野に飛んだら、ランニングホームラン。小中高と使った場所」。15年に人工芝化やスタンド拡張によってプロ野球開催が可能となり凱旋(がいせん)が実現。「雰囲気がいつもと違ったけど終わってみたら楽しかった」と振り返る。

青森でりんごの収穫時期である12月に生を受けたときは野球をやるはずではなかった。父・日出城(ひでしろさん58)は「私と妻がバスケをしていたのでシューターになってほしいという思いを込めたんです」と修汰と名付けられた。しかし地元のミニバスチームは女子だけ。「そこが彼の人生の分岐点だったかもしれませんね」。野球の道に進みプロへ。実家が営む外崎りんご園が経営難になった時は資金を工面した。

家でもグラウンドでも縁の下の力持ちは、見守った両親と祖母を前に言った。「僕が野球をできているのはこの3人のおかげ。弘前で試合ができてよかった」。恩返しの凱旋白星を飾った。【栗田成芳】