ドラゴンズの裏方さんにスポットライトを当てる企画「裏方の竜儀」の1回目は、平沼定晴1軍用具担当(54)です。

82年ドラフト2位で中日に入団した右腕は、世紀の大トレードと言われた落合との1対4のトレードでロッテに移籍。99年に打撃投手として中日に復帰。現在はキャンプ、シーズンの用具担当して奔走中。人生の半分以上を竜にささげている。

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ベンチ前、ベンチ裏に準備された用具一式。シーズン中の当たり前の風景を平沼さんら用具担当が支えている。「準備の前だけでなく、後にも手配のシミュレーションをやっている。それが大変。慣れて流れに乗ればいいが、気を配ってます」。首脳陣、選手に先だって球場入りする。移動が絡む試合前には選手に忘れ物がないよう注意を促し、声を掛け続けている。

プロ野球選手の正月は、2月のキャンプイン。平沼さんのシーズンは前年に始まっている。「ユニホームが変わる年は、秋季キャンプ前にメーカー担当者と打ち合わせが始まる」。春季キャンプへ向けて準備はさらに慎重になる。「発注忘れがないか。キャンプ地にあるものが故障していないか。ちゃんと動くか。ネットとか大丈夫なんだろうか」。キャンプ地は沖縄・北谷町。打撃マシンが故障してもすぐに補充できない。代用品が1日で届かないこともあり、正月明けから、用具1つずつを確認し続ける。

中日に入団し、星野1次政権1年目の86年オフに、落合とのトレードでロッテに移籍。そして95年の星野2次政権スタートともに中日に戻った。「星野さんは僕の祖母に『私の目の黒いうちに戻す』と言ってくれていたそうです。中日もロッテにも愛着はありますね」。その後は西武で現役を引退し、99年から打撃投手として中日に再復帰。立浪ら主力に球を投げ続けた。連投から右肘に水がたまるようになり、打撃投手から用具担当専任になった。

「あったところに戻すことは言う。選手にも怒るし、注意する。できないと野球人としても人としてもダメ」。鬼軍曹にもなる。強い中日も、低迷した中日も知り尽くしている。「いきなり投手も野手も入れ替わる時期になった。与田監督も大変。ただ、中にいて、雰囲気はすごくいい」。試合前の準備を終えた平沼さんは、選手の動きに目を細めていた。【伊東大介】

◆平沼定晴(ひらぬま・さだはる)1965年(昭40)3月27日、千葉県生まれ。千葉商大付から82年ドラフト2位で中日入団。ロッテ時代には西武清原への死球でバットを投げつけられての乱闘が有名。95年に中日に再移籍し、西武で現役を引退。現役通算342試合、18勝22敗5セーブ。引退後の99年から中日打撃投手、12年から用具係専任。右投げ右打ち。