伝統の一戦は、4番の一振りで決着がついた。6-6の8回2死走者なし。東大・武隈が京大・長谷川から決勝ソロを放った。右翼へ豪快に放り込み「2アウトだったので、フルスイングで長打を狙いました」。狙い通りと胸を張った。

東大と京大の定期戦が6日、都内の東大球場で行われた。「双青(そうせい)戦」と呼ばれる。由来は両大学のスクールカラー。東大はケンブリッジ大のライトブルー(淡青)、京大はオックスフォード大のダークブルー(濃青)と、それぞれ英国の名門校にならう。濃淡2つの青は、実に100年前、大正の時代から戦っている。東大・浜田一志監督(54)は「うちにとって公式戦です。リーグ戦の次に大事」と力説。京大同様、ベストメンバーをそろえ、リーグ戦さながらの采配を振った。理由は明快。「ルーツですから」。

今年で創部100周年。そもそも、京大と戦うことが創部のきっかけだった。1917年(大6)12月28日、東京帝大は同好者チームを編成。京都に乗り込み、既に創部から20年近くたっていた京都帝大との一戦に臨んだ。2-6で敗れたが、これを機に、正式な野球部創設の機運が盛り上がる。2年後に創部がかなうや、京都帝大と定期戦協定を締結。同年12月24日、第1回定期戦に4-0で勝利した。

年に1度、雌雄を決する。東大・辻居、京大・西の両主将は図ったように同じ言葉を口にした。「切磋琢磨(せっさたくま)です」。ともに超難関の国立大。いわゆるスポーツ推薦はなく、所属リーグでは苦戦を強いられる。「もっとも近い存在」(辻居)。「強豪私大に勝ちたいという同じ環境」(西)。互いの成績が気になるし、励みにもなるという。

約100人が詰め掛けたスタンドでは、青春話に花が咲いた。「君の時は勝った?」「負けた覚えはないですね」とは、東大OB同士の会話。67歳の京大OBは「東京までの遠征は特別な感じでした。やはり、東大には勝っておきたかった」と懐かしんだ。1年ぶりに再会した選手たちも「会いたかったですよ」と握手。積み重なった伝統の上に、育まれた関係がある。

昭和初期には東北、九州も加わり、4帝大リーグ戦の形を取った。現在の形になったのは、1940年(昭15)から。戦争による中止もあったが、これで78戦、東大の53勝25敗となった。通算では差をつけるが、平成の30年に限れば、東大16勝、京大14勝とほぼ互角。令和は東大の勝利で始まった。時代は変われど、2つの青の負けられない戦いは続く。【古川真弥】