6日に亡くなった元巨人投手の金田正一氏とV9時代にバッテリーを組み、400勝を達成した時にもマスクをかぶっていた森祗晶氏(82)が7日、金田氏を追悼し、往年の思い出を振り返った。

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カネさんとの思い出は数え切れない。1965年(昭40)4月10日の開幕中日戦(後楽園)で初めてバッテリーを組んだ。国鉄の捕手だった根来(広光)さんから「ノーサインだから大変だぞ」と忠告されていたけど、カネさんは「巨人に来たからにはサインに従う」と言ってくれてね。その通りに1回表を終えた。2回表。サイン通りに投げてこない。こちらも危険を感じ、3回から「ノーサインにしましょう」となり、引退するまでずっとノーサインで受けた。

ただ、決してわがままを通したわけではない。打者の気配を感じ取る嗅覚がすごかった。速球にタイミングがあっていると思えばカーブ、カーブを狙っていると感じ取れば速球。キャッチャーとしていっぱい勉強させてもらった。晩年はフォークも投げていたけど、基本は速球とカーブだけ。それで400勝だからね。

川上さん(哲治監督)もカネさんには何も言わなかった。あれだけの大投手が誰よりも練習し、食べる物にも気をつけ、コンディションづくりに励む。川上さんはその姿勢を巨人にも植え付けたかったのだろう。カネさんは巨人に「革命」をもたらしたと言っても過言じゃない。

クーパーズタウン(米野球殿堂)には、カネさんの400勝ボールが飾られている。現役引退の翌年(75年)に訪れた私はその写真を撮り、帰国後にカネさんに渡したら、すごく喜んでくれてね。最後にお会いした昨年2月(ジャイアンツ-ホークスOB戦)でもそうだったが、会えば必ず笑顔でハグしてくれた。さみしいな。心よりご冥福をお祈りします。(日刊スポーツ評論家)