僕にはやっぱり野球しかない。覚せい剤取締法違反で有罪になり、執行猶予中の清原和博氏(52)が30日、今の胸中を赤裸々に語った。「WorldTryout2019」(11月30日、神宮球場)に「監督」として参加することを発表。会見前に行った日刊スポーツと動画配信サービス「Paravi(パラビ)」のインタビューで、野球が再び家族の絆をつないでくれたことなどを明かした。

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インタビューの場に、清原氏は緊張した面持ちで入ってきた。用意された椅子に腰深く座ると、背筋を伸ばし、まっすぐ前を向いて、質問に答えた。

-執行猶予が終わるまで1年を切った。日々、どういうことを考えて過ごしているのか

清原氏 やっぱりその…刑の執行を猶予するこの4年間。本当に自分のその…薬物の後遺症もありましたし、今でもそういうものと闘ってますし。そこで本当に希望を与えてくれたのは、やっぱり野球でしたし。

(昨夏の)第100回大会の甲子園。足を運んでですね。秋田の…吉田(輝星)くんの投げる姿を見て、自分がここで野球をしたのか、というものを感じたりとか。ほんとに後悔ばかりの3年半でしたけど、少しずつ、少しずつ。もう野球をしたことさえイヤになったんですけども、やっぱり自分には野球しかないんだなと。という気持ちで日々過ごして。

それでもやっぱりきちんと治療して、そしてまだまだ社会のみなさんに認められるまでには時間はかなり必要だと思いますので。ひとつひとつ、その日その日を精いっぱい生きて。あの…やっていきたいなと思っています。

16年に刑が確定してからの2年間は野球から目を背けていた。家族とも疎遠になっていたが、硬式野球をやっている中学生の次男が「お父さんに野球を教わりたい」と言い、今春からたびたび会っている。その話を振ると、緊張していた顔が少し柔らかくなった。

-お子さんに野球を教えていると聞きました。

清原氏 いやいやいや、教えるほどでもないんですが。あの…まぁ、野球を通じて、その…僕が起こした事件で、やっぱり彼も、息子も傷ついたと思いますし…。野球を通じて、心のつながりを今、なんか、そっちのが今、主に重点を置いているかなという感じですけどね。

-1週間に1度くらい

清原氏 まぁ、あの。これっていう日程的なものは決まってないんで。やっぱり学校もありますし、勉強もしないといけないですし。その合間に、まぁ、ほんと、技術的なことより、ボールを一緒に、僕も打ちますし、まぁ、息子にも打たせますし。だから、僕もちょっと危機感を感じてますけどね。

こう言うとインタビュー中、初めて笑顔を見せた。

-才能がある

清原氏 いや~これは親バカの話になってしまうんですが。あの…たまに息子の方がいい打球飛ばしたりすると、僕もちょっとジェラシー感じますし(笑い)。まぁ、そういう、何て言うか親と子の、そういう失ってしまった時間もありますし、野球を通じて、あの…親子の心のつながりみたいなものを。

その中で、教えるとしてもまぁ、基本ですよね。みんなそれぞれ顔、体形が違うように、1つの打ち方というのはないと思うんですよね。僕の打ち方は息子にはできないし、息子には息子なりのそういう打ち方があると思うし。そういう、本当に基本的なことしか教えてませんし。僕はただ同じ時間を、そういう野球を通じて、ボールを打つことによって、あの…その時間を共有できるっていうので。僕はすごくそれで幸せです。はい。

-半日くらいは一緒

清原氏 いえいえ、そんなに長い時間はないですよ。やっぱり学校終わって、ほんのわずかな時間。はい。

-見るたびに成長しているのでは

清原氏 いや、僕も試合見に行ったこともないし、練習見に行ったこともないので、すごい狭い空間の中でやって。今、携帯が便利じゃないですか。そういうので、動画を撮ったりして、僕もいろんなその…ユーチューブで。今、いろんなバッティング理論があるじゃないですか。そういうのを勉強したりして。もちろん、ん~と、何て言うんですかね。ほんとわずかな時間なので、その中で、まずボールを遠くに飛ばすことであったりとか「俺はこういう感覚で、ボールを飛ばしてたんだよ」みたいな。そういう話くらいですよ。

-素直に聞きますか

清原氏 気に入らなかったら嫌な顔してますけどね(笑い)。ほんとにまぁ、野球を通じて、その息子とつながりが。今年まだ…まだ半年くらいなんで。で、数。そんな何十回もそんな時間はないので、ほんとに僕もこんなに早く、息子たちと、野球を通じて会えることというのは、できると思ってなかったので。

逮捕された直後は、自分が野球をしていたことさえ後悔しましたし、すべてに対して、自分自身を、自己否定してきましたし。それがまた、その…今回の件もそうですけど、野球を通じて息子とつながることもできましたし。そして今回のようなワールドトライアウト。そういう本当に、野球に携わることができたので。

まぁ、今年は母が亡くなったりしましたけど(今年3月に母弘子さんが78歳で死去)。まぁ、母からの…お母さんからの。まぁ、母ですね。母からの置き土産かなって思ってやってますけどね。