プロ野球南海(現ソフトバンク)で捕手兼任監督を務め、ヤクルト、阪神、楽天でも指揮を執った野村克也(のむら・かつや)さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。

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日本ハム栗山英樹監督はヤクルトで迎えた現役最終年の90年だけ、野村監督の野球に触れた。当時は叱られてばかり。今でも鮮明に思い出すシーンがある。東京ドームの監督室に入るとフラッシュバックする。「俺とか柳田、笘篠、足の速い飯田とかが呼ばれて思いっくそ怒られたんだけどさ。そこに入ると、立たされていたところと逆のところに今は座っているわけじゃん。いつも、思い出す」。

褒められたことは、ない。「叱られることは、すごく大事。ずっと記憶に残っていく。だから、何とかしないといけないと思える」。野球人としての礎になっている。最後に顔を合わせたのは昨年。「お前、俺を使えとか言われて、使えません…って。それが最後の会話だったかな」。野球人生が交錯したのは1年間だけだったが、「ノムさんとやっていなかったらゾッとする」。体に染みこむ野村イズムを、これからも野球界に還元していく。