プロ野球の大洋、ヤクルトで監督を務めた関根潤三氏が死去したことが9日、分かった。93歳。

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DeNA田代富雄チーフ打撃コーチ(65=関根氏が大洋監督時の主砲)

本当にお世話になった。感謝しかない。練習は妥協がなかった。秋の静岡・伊東キャンプはメニューがきつくて、きつくて、1日が終わったらまともに歩けない。翌朝は両足がパンパンで、グラウンドへの階段を後ろ向きに下りた。食事ものどを通らない。休みに出かける気力もなかった。

それでも「こいつをうまくしてやろう」という気持ちを感じたから、選手はついていった。監督1年目(82年)は27本塁打しか打てず、前年までの2年連続30本塁打から落とした。40本塁打を目標に打撃フォームを変えたが、シーズン中、1日に4回も監督室に呼ばれたことも。付きっきりで指導してくれた。

4番で何十打席も無安打が続いたこともあった。広島での試合後、ホテルに着いて「明日は気楽に6番で打て」と言われた。でも、翌日も4タコか5タコ。すると「田代、お前に6番は似合わないな。やっぱり明日から4番だ」と戻された。余計に気持ちを感じたね。とにかく嫌みがない人。2軍監督もやらせてもらったけど、関根さんを手本にしていた。