日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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トップアスリートの自宅トレーニングで特に関心したのは、カヌーの羽根田卓也のパフォーマンスだ。16年リオデジャネイロオリンピック(五輪)の銅メダリスト。植木鉢を両手で上げていたかと思えば、腕立て伏せでは大きなブロックを背中に乗せて負荷をかけていた。
今年1月、所属先であるミキハウスの新年会は東京五輪を控えた激励会の雰囲気に包まれた。羽根田が「カヌーが注目されない中で拾っていただいた恩をしっかり返したい」とスポーツに理解ある会社への恩義を語ったのが印象的だった。
羽根田をはじめアスリートたちが自分たちで工夫を凝らしながら体を動かしている。おそらくコロナ禍がなければ充実した環境でトレーニングをしていただろう。そんな恵まれない現状をうかがっていると、かつては“今”のような鍛え方をしていたことに気付かされる。
南海ホークスで「中年の星」といわれた伝説のアーチスト門田博光を思い出した。身長170センチ。小柄な体で積み重ねた通算567本塁打は、王、野村に次ぐ歴代3位。全打席ホームランを狙った男は、40歳で本塁打、打点の2冠を獲得した。
プロ10年目の1979年(昭54)2月、キャンプ地の高知県幡多郡大方町(現黒潮町)で右アキレス腱(けん)を断裂した。「あぁ、死んだなと思った」。31歳だった男は絶望のふちに追い込まれるが、そこからの復活劇はすさまじかった。
門田のリハビリは電車通勤から始まった。自宅があった奈良学園前から大阪球場の難波まで近鉄電車を利用し、学生、サラリーマンと並んでつり革につかまった。電車内でかかとの上げ下げをしながらアキレス腱の強化に努めたのだ。
新米記者だったわたしは、いつもロッカー室からベンチに門田のバットを運ぶ役をしていたから、身近に“怪物”のすごさに触れてきたつもりだ。ティー打撃は1キロの重量バットで鉄球のようなボールをたたく。脱衣場では30キロのダンベルを上げ、スクワットをする姿を目にしてきた。
時代遅れといわれるかもしれない。トレーニングの進化が競技力向上につながっているのも事実だ。ただ開幕が大幅にずれ込む中、選手が個人的に取り組む光景は、いつか来た道を感じさせる。「故きを温ねて新しきを知る」ことは必ずある。今の回り道が決して無駄ではないと信じたい。



