かつてプロの世界で活躍した野球人にセカンドキャリアを聞く「ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ」に昨年登場した元近鉄投手の村田辰美氏(67)に現在の状況を聞きました。関西独立リーグに所属する「06BULLS(ゼロロクブルズ)」の監督を務めるかたわら、加圧トレーニングのインストラクターとして長年続けてきた活動も新型コロナウイルスの影響で完全休業が続いていましたが、緊急事態宣言が解除。まずは5月25日からチーム練習が再開されることなりました。「ザ・インタビュー特別編」としてお届けします。【取材・構成=安藤宏樹】

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「年中夢求」をセカンドキャリアの座右の銘に掲げた村田氏にとって、新型コロナウイルスは強敵となった。

4球団で構成する関西独立リーグは4月4日だった開幕を2度延期。緊急事態宣言発令を境にチーム活動も完全にストップした。04年の近鉄球団消滅をきっかけに転身した加圧トレーナーの仕事も休業に追い込まれた。そんな中、緊急事態宣言の解除を受け、チームが活動拠点を置く東大阪市にある花園中央公園野球場の使用が解禁。リーグ開幕に向けて、25日からチーム練習が再開することになった。

「私自身も仕事はまったく出来ない状況でしたが、選手もみな自主トレ状態になりました。アルバイトをしている選手が多く、みんな厳しい状況が続きました。それでも離脱者は1人も出ることなく、可能な範囲で練習を続けてくれていたようです。ようやくグラウンドの使用禁止が解かれましたので、全体練習を始めようと思います」。就任2年目にして深刻な事態に見舞われた村田氏はようやく見えた小さな灯に力強い口調で現状を語った。

苦しい日々が続いた。それでも村田氏は「やれることをやろう」と選手たちにチーム内のグループラインを通じて呼びかけた。「SNSなどを通じてメッセージを出してほしいとお願いしました。自主練習などの活動内容もですが、特に医療従事者のみなさんに対して感謝の思いを伝えてほしいと。飲食店やコンビニなどでアルバイトしている選手も多いですから、彼ら自身も苦しい状況にあると思いますが、東大阪市に本拠地を置くチームとして、できることは可能な限りやっていこうと」。

地域に認知され、活動に共感を持つ人々の輪が広がってこそ独立チームの未来は広がる。長きに渡りプレーした所属球団を失った村田氏だからこそ、その思いは人一倍強い。球団合併で古巣・近鉄は消滅した。これを機に野球解説など球界にかかわる仕事は激減。加圧トレーニングのインストラクターとして歩み始めた。NPB入りを目指す選手たちの受け皿でもある独立リーグ球団監督に昨年就任した。チームを消滅させることはなんとしても避けたい、との思いが根底にある。昨年行ったインタビューで村田氏は次のように話していた。

「インストラクターの仕事は『年中無休』と話しましたが、資格を取ったときに『年中夢求』を座右の銘にしました。夢を求めると書きます。今はブルズの監督としてNPBに1人でも2人でも送り込みたいという『夢』も加わりました。リーグ戦は10月まで続きます。『年中夢求』の精神で優勝を目指しつつ、NPBに進める選手を育てていきたいと考えています」。

活動休止中も村田氏に夢を放棄する選択肢はなかった。少しでも明日につながる活動方法はないかを模索し、選手たちへ呼びかけを行い、自らは知人に頼まれた仕事を手伝った。世界に広がるコロナ禍。独立リーグへの影響も決して小さくはなく、今後もさまざまな課題が振りかかってくるだろう。それでも村田氏は夢を求めてチーム活動を再開する。

◆村田辰美(むらた・たつみ)1952年7月9日生まれ。秋田県出身。六郷高、三菱自動車川崎を経て74年ドラフト2位で近鉄入団。86、87年に開幕投手を務めるなど中心投手として活躍。90年、大洋へ移籍し引退するまで通算404試合に登板、85勝90敗10セーブ、防御率4・19。左投げ左打ち。引退後は近鉄投手コーチ、プロ野球ニュース解説者などを経て加圧トレーニングインストラクター。19年から関西独立リーグ・06BULLS(ゼロロクブルズ)監督を務めている。