開幕を待つファンのみなさんへ。今回の「Fゼミ」の授業は「歴史」。05年に日本ハムに加入してから、4度のリーグ優勝に貢献した稲葉篤紀選手(47)です。勝負強い打撃で、チームリーダーとして黄金期を支えました。20年のプロ野球生活で5人の監督に仕え、すべての監督をリーグ制覇へ導いた優勝請負人は、来年へ延期が決まった東京オリンピック(五輪)で、侍ジャパンの監督として金メダルを目指します。

その男が打席に立つと、スタジアムが大きく揺れた。

14年9月30日西武戦(札幌ドーム)。おなじみのファンファーレに乗って、総立ちの観衆がスタンドで跳ねる。背中を押されるように、この年限りで引退を決めていた代打稲葉が、右翼ポール際へ逆転2ランを突き刺した。「野球の神様が最後に、いい思い出を与えてくれた」。泣き虫の顔に、笑みが広がった。

メジャー挑戦の夢破れ、北海道へ渡ったのが05年。長らく定位置だった右翼守備では、的確なポジショニングで鉄壁外野陣を支えた。勝負強い打撃は、ヤクルト時代より、むしろ日本ハムに加入してからの方が印象深い。06年10月12日、ソフトバンクとのプレーオフ第2ステージ第2戦。この年、2度目の沢村賞を獲得した斉藤からサヨナラ適時打を放ったシーンは、あまりにも有名だ。12年には、2000安打達成者として、歴史に名を刻んだ。

主役にも、バイプレーヤーにもなれる存在だった。温和な性格で、表立って厳しい言葉を発することは少ない。スター性十分ながら親しみやすい雰囲気で、多くの選手から慕われ、ファンからも愛された。初打席初本塁打を打った選手は大成しないと言われる中「絶対に覆してやると強い気持ちを持って2000安打を打てましたので、よくやったなと思います」。謙虚さを忘れず、駆け抜けた20年。クイーンの「I Was Born To Love You」が流れるたびに、北国のファンは心優しきリーダーと「稲葉ジャンプ」の思い出に胸を熱くするはずだ。【中島宙恵】

◆稲葉篤紀(いなば・あつのり)1972年(昭47)8月3日、愛知県生まれ。中京-法大を経て94年ドラフト3位でヤクルト入団。04年オフに日本ハムへFA移籍。06年日本シリーズMVP。07年首位打者、最多安打。08年北京五輪、09年、13年WBC日本代表。ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞5度。14年の引退後は日本代表コーチを務め、17年7月に監督就任。185センチ、94キロ。左投げ左打ち。