かつてプロの世界で活躍した野球人にセカンドキャリアを聞く「ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ」に昨年登場した市原圭氏(46)に現在の状況を聞きました。大阪市内で開業した飲食店は新型コロナウイルス禍でどのような影響を受けているのか。「ザ・インタビュー特別編」としてお届けします。【取材・構成=安藤宏樹】

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「自分で選んだ商売なので切り替えて前に進むことしか考えていません」。市原氏は自らに言い聞かせるように現在の心境を語ってくれた。

大阪市内で17年に開業した完全予約制の飲食店は緊急事態宣言が解除された6月後半から感染防止に細心の注意を払いながら徐々に営業再開。7月に入り、少しずつ予約が入るようになったという。従来に比べて「ようやく5割ほど」の状況だ。だが、家賃などの固定費は重くのしかかる。さらに関東圏を中心に再び増え始めた感染者は7月後半から足元の大阪でも急増。「1度は入れてもらった予約がキャンセルに、というケースも出始めています」と先の見えない厳しい現状を明かした。

4月からの必然的に営業自粛となった期間は顧客のすすめで唐揚げなどのテークアウトや出前も行った。「(苦しいのは)自分だけじゃないですから」と自らを鼓舞し続けた。仕入れも調理も接客もすべて自分でこなすのが市原流。あえて予約制とすることで可能となる細やかなサービス提供をベースに顧客開拓を続けてきたが、コロナ禍は大きな壁となり立ちはだかってきた。

野球関係者の来店がストップした影響も大きかったという。ダイエー(現ソフトバンク)、中日、近鉄に在籍した市原氏は当時の同僚やお世話になったコーチなど、いまも各球団で活躍している関係者も大事な顧客。しかし、球団からの外出禁止令や会食制限があり、来店が途絶えた。厳しい現実と同時にかつての仲間との接触機会が激減したことについて「当然ですし、仕方ないです」と語るものの寂しさはぬぐえない。

野球とともに歩んできた人生。だからこそ野球への思いは深く、希望も抱く。

「プロ野球にお客さんが入るようになって、より気持ちが前に向き始めました。こうして球場にお客さんが入ることで我々の業界にももっと足を運んでもらえるんじゃないか、と思えてくるのです。だから野球には頑張ってほしいですし、それだけの力があると信じています」。

父・實さん(73)は南海にテスト入団。その後、通訳、コーチ、フロントマンとして長きにわたり球界でキャリアを重ねてきた人物だ。98年に近鉄に移籍した際、父は同球団で渉外担当を務めていた。

「近鉄に移籍するときも本音では避けたかったほどでした」と昨年のインタビューで明かしたように、かつては父の存在が重荷だったこともある。引退後、サラリーマンを経て飲食店を経営する今は野球を愛する1人の大先輩としても尊敬している。親子2代の野球人。今はあえて父との接触を避け、電話連絡を続けているという市原氏。「冬の訪れでどうなるのか。なんとか落ち着いてくれるといいですね」。野球の底力に期待しつつ、多くの人々がコロナ禍から解放される日が訪れることを心から待ち望んでいた。

 

◆市原圭(いちはら・けい)1973年9月8日生まれ。大阪府出身。上宮高では1年夏からベンチ入り。2学年上に現巨人ヘッドコーチの元木大介氏、同学年に元ロッテの藪田安彦氏と阪神2軍コーチの中村豊氏がいた。同校から91年ドラフト8位でダイエー(現ソフトバンク)入団。94年中日、98年近鉄に移籍し02年引退。スポーツ用品メーカー、イベント会社勤務を経て14年に独立。現在は大阪市中央区で完全予約制の飲食店「鶏手羽とお鍋 One」を経営。