巨人は1日、巨人選手会ともに、川上哲治氏の出身地である熊本県人吉市に災害義援金200万円を寄付したと発表した。

人吉市は、激甚災害に指定された「令和2年7月豪雨」で、球磨川の氾濫により、市中心部を含む広範囲で甚大な浸水被害に見舞われた。巨人は災害が起こった直後にオレンジタオル等6000枚を寄贈したが、今回の「川上哲治生誕100年記念試合」に合わせて、チャリティーオークション売上金など100万円と、選手会からの寄付金100万円を合わせ、計200万円を災害義援金として同市に贈った。

試合前に東京ドームで、今村司球団社長が、「川上哲治生誕100年記念事業実行委員会」の岡本光雄会長に、義援金の目録プレートと、防災備蓄ゼリー「読売巨人軍LIFE STOCK」2000個を手渡した。

この日の試合で監督、コーチ、選手らが着用した「背番号16番ユニホーム」に、それぞれの直筆サインを入れ、チャリティーオークションに出品する予定(詳細は後日発表)で、収益金は人吉市の被災者支援、災害復興のために役立てられる。

 

松岡隼人人吉市長 人吉復興へ向けた皆様の温かいご支援、本当にありがとうございます。現在、人吉市は大変厳しい状況にありますが、今こそ、幾多の逆境を乗り越えて日本球界の英傑となられた郷土の偉人・川上哲治氏の生きざまにならい、市民一丸となって、希望ある復興に向かって走り続けます。皆様の引き続きのご支援、よろしくお願いします。

◆川上哲治(かわかみ・てつはる)1920年(大9)3月23日、熊本県生まれ。熊本工では甲子園準優勝2度。38年巨人入団。投手から一塁手に転向し、39年に史上最年少の19歳で首位打者。戦後は「打撃の神様」と呼ばれ、大下弘(東急)の青バットに対抗して赤バットを使い人気を二分した。58年引退。現役時代の主なタイトルは首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回。最優秀選手3回。2年間のコーチを経て61年、巨人監督に就任し、65~73年に9年連続日本一を達成した。背番号16は永久欠番。65年野球殿堂入り。13年10月、老衰のため死去。現役時代は174センチ、75キロ、左投げ左打ち。