ヤクルト五十嵐亮太投手(41)が15日、都内で現役引退の会見を行った。一問一答は以下の通り。

 

-決断の理由は

シーズンに入る前から、結果がでなかったら引退するという覚悟でやってきました。自分の可能性を信じ続けていろいろやってきたんですが、なかなか継続した結果を出すことができない。体は元気だったんですけど、結果を見つめ直した時に辞める気持ちが強く、球団に伝えました。

-決断のタイミングは

8月に入ってから。でも本当にギリギリまで自分の可能性を信じ続けて、抑えるためならどんな方法でもいいと思った時期もありました。恥ずかしいのであんまり言いたくないんですけど、サイドスローからも投げてみたりしたんです。自分のやってないことはないんじゃないか、くらいやっていましたし、それでやっぱり辞めるべきだと判断を伝えました。

-家族からは

「お疲れさま」という気持ちをもらったときに、自然と涙が出てきました。

-同学年の石川とは

最初は電話でしたけど、びっくりしていました。次の日、たまたま彼が戸田に来ていて一緒に練習してキャッチボールをやったんですけど、(入団)当時のことを思い出して泣きそうになっちゃった。

-41歳まで現役を続けてきた要因は

この世界で生きていくためには何を選択するべきか探し続けたときに、僕はストレート、誰よりも速い球を投げることが、この世界で生きていくために必要なことだという選択をしてやってきました。時間がたつにつれてそれだけではやっていけない、生きていくためにはどうすればいいかを考えた。決して対応能力が高い方ではないが、そういった時に選択してきた道が悪くなかったんじゃなかったかと思っています。

-リリーフのこだわりは

中継ぎのいいなと思うところは、毎日試合に入れる。ブルペンでチームメートといろんな話ができる。その空間は1つのチームになっている感じがした。あと抑えることより打たれた時のほうがニュースになりやすい。これはこれで面白いと思っていて、抑え続けることが当たり前のように思われている。そんなところが中継ぎの魅力なんじゃないかな。

-1000試合登板に届かなかった

強く意識している数字ではありました。でも結果的に100試合近く残っているので、悔しいとかいう気持ちよりも、今の成績に納得しているという気持ちの方が強いです。

-野球人生をひと言で

子どもの頃からプロ野球選手になることを夢見てやってきたが、振り返ってみると、夢見てやってきてよかったなと。プロ野球の世界はこんなに素晴らしいものだと心から実感できたので、本当に幸せです。

-一番の思い出は

一番ってなかなか難しい。チームメートと1つの試合を勝った時に喜びを分かち合える、その瞬間は何試合あっても特別なもので、勝ったその日の夜にみんなでご飯を食べたり、お酒を飲んだり、その当たり前の日常が幸せでした。1つ挙げるとすれば、優勝した瞬間は言葉に表せないくらい特別な時間でした。

-引退後は

今のところ考えていない。本当はのんびりゆっくり過ごしていきたいと言いたいんですけど、冷静に考えるとまだ41ですし、何もしないと耐えられない性格。野球以上にというのは難しいかもしれないですけど、何かの役に立てるような夢中になれるようなことが見つかればうれしい。

-野球界には

人生の半分以上プロ野球でやってきたので、携わっていけたらいいなと思います。

-ロケットボーイズについて

決めたのは僕と石井さん。当時は面白いねという感じだったが、思った以上に定着したのがうれしい。

-石井コーチの存在は

コーチという立場があるので、あまりこういうことを言っちゃいけないと思うが、お兄ちゃんみたいな感じです(笑い)。

-石川投手への思いは

200勝を見せてもらいたい。見たい。彼は誰よりも練習をやっていた。若い子にも負けないくらい。彼の練習に対する向き合い方、考え方というのを見たとき、少し心が折れてしまったので、その辺はあまりやりすぎて周りがちょっとやる気なくしちゃうかもしれないがということで、注意はしたいですね(笑い)。

-神宮のマウンドは

青空の下で野球ができるのは本当に気持ちが良かった。小さくて、投げるのはドキドキしてしまうが、そこから見る景色は絶景だった。

-最後に登板の機会が与えられたら

正直、見ている方に、まだまだできるんじゃないかなという思いをさせたい気持ちと同時に、僕自身も引退を撤回するくらいの勢いでやりたいなと思います。

-サイドスローは

悪あがきですよね。格好とか、そういうのどうでもよかったので。そのとき(10月6日)楽天戦だったんですけど(元ソフトバンクの)山下と対戦して、タイムリー打たれて僕はダメだなと思ったんですけど、次の日に「五十嵐さん、見にくいからいいよ」と言われた。それでまたちょっと揺れ動いた。

-やり切った

やり切りましたね。やっぱり年間を通してやりたい。今年に関しては1軍から離れすぎていた。その現実を受け入れるには時間がかかりましたけれども、続けていても来年もなかなか気持ち的にも持たないと思った。

-悔いが残ることは

もちろんありますよ。でもそういうことがあったから、今の自分があると思っているので、そういった気持ちがなければ、たぶん僕はここにいないと思うし。その経験が僕にとって大事です。

-ソフトバンク時代、神宮の日本シリーズで山田哲からクイックで奪三振

投手として投げていたら絶対に抑えたいですし、その時ホームランを2打席か3打席連続で打たれていた。あそこは絶対に打たれるわけにはいかないんですよ。

-野村監督時代の最後の選手。特に印象は

当時、よく「髪を切れ」と言われましたよ。厳しいことを言っているイメージが強いんですけど、実際その厳しさの裏の温かさというのが、すごい感じられて。こういう人だから、プレーヤーとしても指導者としても、こういった立場でずっとやってこられた方なんだなというのが、すごく感じられて。怒られた、注意されたイメージが強いんですけど、すごくあったかくて、その空間に一緒にいられただけで幸せでした。

 

▽ヤクルト石川(五十嵐の引退について)「追いつけ、追い越せという気持ちでやってきた。寂しいのと、お疲れさまでしたという気持ち。野球に対する姿勢、チームを鼓舞する姿勢は若い頃から変わらず、男が男にほれる。『200勝頑張ってくれ』と言ってくれる気持ちはうれしい。亮太だったり、そういう人たちの思いを、背負えるなら背負って目指したい」