阪神が球団史上初の日本一に輝いたのは、1985年(昭60)11月2日だった。21年ぶりのリーグ優勝を遂げ、西武との日本シリーズを4勝2敗で制覇した。あれから35年。球団唯一の日本一監督・吉田義男氏(87=日刊スポーツ客員評論家)が「日本一記念日」に特別寄稿した。【取材・構成=寺尾博和編集委員】

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もう35年前のできごとなんですね。1985年の11月2日は、晴天で風が強い日でした。デーゲームの試合後は夕日が差し込んだ。わたしの指示でトレーナーをはじめ裏方ら、すべてに招集をかけたんです。

「一丸」「挑戦」「当たり前のことを当たり前にやれ」とうるさく言い続けた。選手は“また監督言うとるで”といった感じだが、最後は信頼関係につながったと思います。だから全員集合で写真を撮りたかった。

初めて監督に就いた1975年は血気盛んな42歳です。名将ビリー・マーチンのまねで、背番号1をつけてね。優勝はできなかったけど、10年後に52歳のシーズンに生きたと思ってるんです。

スローガンは「3F」でした。「フレッシュ」「ファイト」「フォアザチーム」。野球通だった三好(一彦)さん(電鉄本社取締役西梅田開発室長)のバックアップは、何より心強かった。

今なら信じられないようなコンバートもやりました。笠間(雄二)、山川(猛)の捕手は木戸(克彦)に代え、外野の岡田(彰布)は内野に郷愁があったし、平田がググッと伸びてた。

内野から外野に転向した真弓(明信)が「試合に出れるならどこでも守る」といってくれたのは助かった。コーチの一枝(修平)、トレーナーの猿木(忠男)が大丈夫といった岡田を二塁に、平田を遊撃に据えました。

岡田、平田の2人でよくゲッツーをとったし、中堅の弘田(澄男)と北村(照文)がビッグプレーをみせた。センターラインの確立です。守備位置をコロコロ代えたらあきませんな。

開幕後のターニングポイントは、バース、掛布(雅之)、岡田のバックスクリーン3連発です。「4番」に誰を起用するかは迷いました。相手は掛布が脅威で、みな3番バースで勝負してくれた。佐野(仙好)も勝負強かった。

派手な3連発に隠れているのは、2年目だった中西(清起)をストッパーに起用して成功したことです。山本(和行)と中継ぎの福間(納)が踏ん張った。巨人に勝たな、優勝はない。あの3連発が巨人に勝てるという自信と勢いになった。

球宴前の広島戦もポイントです。2ゲーム差で広島に行って連敗で4差。岡山での3戦目は広島と新幹線で呉越同舟になった。岡田が負傷したので球宴監督の古葉(竹識)に「今日の試合は出ないが、オールスターは出してほしい」といったら「出します」といってくれた。

その岡山で岡田に代わった和田(豊)が4安打、平田が4つの犠打を決め、チュンタ(中田良弘)が力投するんです。オールスター折り返しが5差か3差では大違いでした。

球宴後の8月12日に日航機墜落で中埜(肇)球団社長が亡くなった。翌日から巨人に3つ、広島に連敗で5連敗。後で知るんですが選手会長の岡田が決起集会を開くんです。監督としてうれしかったし、横浜に1つ負けて6連敗してから、勝ち続けました。

周りは優勝、優勝と騒ぎ出したが、わたしは絶対口にしなかった。選手、監督として経験もあったし、勝負はゲタを履くまでわからんとたたき込まれてましたからね。

例えば1964年には、三原(脩)監督の首位大洋をひっくり返して奇跡の逆転優勝しましたしね。1992年はカツ(中村勝広)が「大きな土産を持って帰ります」といったばかりに負けましたわな。

だから、今の選手がヒット打ったぐらいではしゃぐのはもってのほかですわ。相手投手にも失礼だと思うんです。勝負は厳しいですからね。時代と言えばそれまでだが、喜ぶのはナベのフタを開けた後でええんです。

日本シリーズは下馬評も芳しくなかったし、西武に勝てると思わなかった。3勝2敗で敵地に乗り込んだ第6戦は初回2死満塁で、長崎(慶一)が逆風の中で満塁ホームランを放って一方的に勝つんです。

セ・リーグ新記録の219本塁打(現在は04年巨人259)で打ち勝ったというかもしれない。でもリーグ最多141犠打(現在は11年広島180)が示すように、大事な場面でのバントが大抵1回で成功しました。

日本一で慰安旅行の話になった際、フロントと2軍は沖縄というので、それは違うと言いました。お金の出し方は別にして、全員でハワイに行った。ファンも含めて飛行機7機ぐらいで9泊10日の大名旅行ですわ。

あとで(巨人オーナーの)正力亨さんとゴルフでご一緒したときに「こんな前例作ってもらっては困るやないか」と叱られましたわ。「正力賞」の賞金500万円は選手会に配った。自分がもらったんではないですから。

逆転勝ちも多かったので、こっちは苦しいけどファンは喜んでくれた。阪神フィーバーは社会現象にもなったんです。わたしの天国でしたわ。もう1度、阪神の日本一を見届けたいものです。

◆吉田義男(よしだ・よしお)1933年(昭8)7月26日生まれ、京都府出身。山城-立命大を経て53年阪神入団。好守好打の名遊撃手として活躍。俊敏な動きから「今牛若」の異名を取り、卓越した守備力は現在も語り草。69年引退。通算2007試合、1864安打、66本塁打、434打点、350盗塁、打率2割6分7厘。現役時代は167センチ、56キロ。75~77年、85~87年、97~98年と3期にわたり阪神監督。2期目の85年に、チームを初の日本一に導いた。89年から95年まで仏ナショナルチームの監督。92年殿堂入り。99年から日刊スポーツ客員評論家。

<85年阪神の主なできごと>

◆隠し球で敗戦スタート(4月13日)開幕戦広島戦の10回、北村が隠し球に刺されて逸機。試合はサヨナラ負け。

◆バックスクリーン3連発(4月17日)巨人戦の7回、バース、掛布、岡田が伝説のバックスクリーン3連発を達成。

◆球宴ジャック ファン投票でバース、岡田、掛布、平田、真弓と5人の野手が選出される。

◆長期ロード5割 例年苦戦するこの期間を、7勝7敗の五分でしのぐ。

◆抑えエース離脱(9月4日)中日戦の試合前、ストッパーの1人山本が左アキレス腱(けん)を断裂。

◆マジック点灯(9月11日)大洋に勝ち、待望のマジック22となった。

◆リーグ制覇(10月16日)神宮でのヤクルト戦に引き分け、21年ぶり3度目のセ・リーグ優勝が決定。

◆バース3冠王(10月24日)全日程を終え、バースが本塁打、打点、首位打者と打撃主要タイトル独占。外国人の達成はセ初。

◆初の日本一(11月2日)西武との日本シリーズを4勝2敗で制し、球団初の日本一に輝く。

◆吉田監督に正力賞(11月13日)プロ野球の発展に最も貢献した球界関係者に贈られる正力松太郎賞を、吉田監督が受賞。