さらば、火の玉ストレート-。阪神藤川球児投手(40)が10日の巨人戦(甲子園)で引退試合に臨んだ。9回に登板。巨人の代打坂本から三振を奪うなど12球の直球勝負で1イニングを3者凡退に抑えた。日米通算245セーブを記録した右腕が、タテジマに別れを告げた。

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何度も気持ちを高ぶらせた登場曲、背中を押してくれた大声援、そして世界に1つだけの聖地のマウンド。全てに別れを告げる守護神の顔は、穏やかな笑顔に満ちていた。

「明日投げれば、もう1キロぐらいは出たかなという感じはしましたけど(笑い)。プロとしてやる上では、数字が残せなければ、それで終わり。それが、このタイガースのユニホームを着た自分との約束だった。しっかり守れたので。守れた男でよかった」

真っすぐに生きてきた人生を、全12球の直球に込めた。巨人の主将坂本に、4球直球を投げ込み空振り三振。中島の初球には、引退表明後最速の149キロを計測した。守り続けた最後の9回は、直球だけで3者凡退。執念を燃やした「伝統の一戦」で完全燃焼した。

阪神への愛を貫き、身をささげてきた22年だった。「阪神を強くしたい! 弱いチームにおるのは絶対いやや」。01年、高知春季キャンプ中のある夜。入団して間もない赤星憲広の部屋に、藤川と中谷仁が集まった。お酒を片手に会話は熱を帯びていく。「どうやったら阪神は変わるんや」「弱いままじゃだめなんや」「とにかく阪神を強くしよう。自分がその一員になるんだ」。20代前半、まだ1軍に定着もしていない頃。未来の守護神は、情熱と使命を隠さなかった。そしてその時から、優勝の瞬間にマウンドに立つ自分を、思い描いていた。

大リーグを経て帰国した15年。阪神以外のNPB球団からもオファーが届いた。「阪神以外のところに行ったら、俺あかんかな。他のユニホームを着たら、どうなんやろ」。自宅にほど近いグラウンドで、キャッチボールをしながらふと漏らした。進むべき道に迷いながらも、常に心にあった思い。阪神が藤川球児を育ててくれた-。他球団のユニホームには袖を通さず、地元に恩返しする道を選んだ。そして再びタテジマに身を包み、この日、タテジマのままユニホームを脱いだ。

慣れ親しんだマウンドでのスピーチ。苦難や歓喜、これまでの道のりを思い出すと、言葉を詰まらせた。それでも、最後まで涙は見せなかった。「すべてが、自分が野球を始めた時に思い描いていた人生になった」。圧倒的な立ち姿と炎の直球。伝説の守護神は、確かに球史に刻まれた。【磯綾乃】