阪神矢野燿大監督(51)が藤川の「最後の1球」を受けた。

かつての女房役、そして最後の指揮官として、「ピッチャー、藤川」をコール。最後の登板を見届けた。引退セレモニーではバッテリーを組み、固い絆で結ばれた2人の物語はひとまず幕を閉じた。

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現役時代、火の玉ストレートを受けてきた矢野監督のミットに、藤川のラストピッチが吸い込まれた。笑顔でしっかりと受け止めたが、セレモニー後、指揮官の目は潤んでいた。

矢野監督 球児のストレートを一番多く受けられたのは自慢。本当に全身全霊、タイガースのためにやってくれた。感謝の気持ちしかない。一言では収まらない。幸せな時間でした。

あのときから10年の時を経た。10年9月30日。矢野監督の現役引退試合だった一戦で9回に藤川が逆転弾を浴び、出番が消えた過去があった。

矢野監督 俺が勝手に思ってるのは、俺が引退の時に、俺が出られなかった。球児が打たれちゃって。それがあって球児が俺に捕ってもらいたいって言ってもらって、やってもらえたのかな、俺に対してやってくれたのかなという。うれしかったです。

10年ぶりのバッテリー実現に声は震えた。浮き上がるような剛速球を「分かっていても打てない。魔球」と評する。思い出は数知れない。JFKを軸にした05年リーグ優勝。その05年には、当時のシーズン最多登板記録更新がかかった藤川の79試合登板の際に「すごい(カメラの)フラッシュやな」と声をかけたという。06年球宴第1戦では全10球直球でカブレラ、小笠原を連続三振に斬った伝説を、女房役として演出した。

悔しい思いも強く刻まれている。03年4月11日巨人戦では3点リードの9回2死から後藤に同点3ランを浴び「ある意味、あそこから球児の伝説がスタートした」という。08年CSでは中日ウッズに決勝2ランを浴びた苦い思いも、ともに味わった。苦境から何度もはい上がった右腕の神髄を語ったことがある。「能力で抑えていた印象があると思うが、実際は大胆な中に、繊細な部分があった。直球を投げる中でも、目いっぱい投げるだけじゃなく、体の近い方に投げるとか、ベルトよりも絶対上に投げるとか。ここは絶対低めに投げるとか。1球1球、すごく自分の中で繊細に考えて投げる投手だった」。

9回の守り、マウンドで藤川を迎えた。オール直球のラスト登板に「球児自身の思いもあるし、受け継いでいく後輩に対する思いもあって投げたボールだと思う」。選手と監督としての美酒はならなかったが、イズムを受け継ぐナインと来季挑む。【松井周治】