1月4日は星野仙一さん(享年70)を思い出す日。当時の番記者が回顧する。

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ホームタウンとなる仙台の印象を、早大・早川隆久投手(4年)は「牛タン」と話した。昨年10月のドラフト会議で楽天から1位指名を受けた。会見で出た定番の質問を無難にこなしたが、本当に思ったことは別にあったという。

「真っ先に震災を思いました。僕も被災したので。ただ、僕なんかが言っていいのかとも思って」

千葉外房の横芝光町出身。実家が床上浸水し、避難場所の小学校で一夜を過ごしている。だが、東北の甚大な被害と比べたら…。言及するのはためらわれた。約2週間後、球団の指名あいさつを受け、意を決した。自らの体験に触れ、こう続けた。「野球という形で勇気を与えられる選手になれれば」。

震災10年の節目で、そのような思いを持った選手が東北のチームに選ばれたことに運命を感じずにはいられない。同時に「10年」の重さを感じる。小学校卒業間近の少年を、4球団が競合する好投手に育てた。今年は東北の皆さんはじめ、多くの人が、それぞれの尺度で「10年」を感じる年になるだろう。

私自身は10年前、人生で初めて東北に居を構え、かけがえのない縁に恵まれた。勇退するまでの4シーズン、楽天星野監督を取材できたことが、野球記者の礎を固めてくれた。

新しい年を迎え、星野さんの残した言葉が思い出される。

「人生の中で、最も大きな困難、苦難を経験している。でも弱音は絶対に吐かない。困難、苦難は、乗り越えることができる人間にしか、降りかかってこない。そう言い聞かせている」

2011年3月20日、震災から9日後。混乱の極致でも前を向いていた。コロナ禍の今、星野さんの言葉が染みる。震災と同列には語れない。精神論で乗り越えられる状況でもない。それでも、星野さんの気構えは勇気を与えてくれる。

震災から10年。星野さんが亡くなってから3年。1月4日の命日に、早川投手の活躍と東北の復興・発展を願う。【11~14年楽天担当・古川真弥】