85年の阪神日本一監督で日刊スポーツ客員評論家の吉田義男氏(87)が伝統の一戦2000試合を記念し、巨人への思いを特別寄稿した。

吉田氏をはじめ阪神ナインにとって、巨人は永遠のライバルであり、熱い闘志をかき立ててくれる最強の存在だった。【聞き手=編集委員・寺尾博和】

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阪神で育った私にとって、宿敵巨人との縁は切っても切れない。マスコミが“伝統の一戦”と名付けた名勝負も、ここのところ、その看板が色あせてきているようだ。

通算成績の数字上で巨人の後塵(こうじん)を拝し、差をつけられていることもあるだろう。かつてはもっと殺気立ったし、それがプレーに緊迫感をもたらしていたように思う。

プロ入り当初の甲子園は巨人戦だけが超満員で、他のカードは閑古鳥が鳴いたものだ。東の巨人との戦いは、だれに教わることもなく、わたしにとっても最大のライバルになった。

「初代ミスタータイガース」の藤村富美男さんも怖かったが、巨人川上(哲治)さんの前で体がすくんだのも覚えている。V9時代の川上巨人には、ぶつかってははね返された。

かつての巨人は、ボール球に手を出してこなかった。川上さんの厳格な教えで、組織で勝つのが伝統。そして我々にとっては、巨人を倒すことが最大の宿命になっていった。

1959年(昭34)6月25日、天皇、皇后両陛下がご臨席された後楽園での巨人戦は、特に忘れることができない。戦後のプロ野球が隆盛していく歴史の転換点だった。

天皇陛下がご退席される数分前に、長嶋が村山からサヨナラ本塁打を放つなど、だれが予想できただろうか。阪神と巨人はこのような劇的なドラマを数多く演じてきた。

監督だった85年4月17日の甲子園で、バース、掛布、岡田が放ったバックスクリーン3連発もなつかしい。真弓、平田、木戸、中西ら個性あふれた役者が育った歴史の一コマだ。

ライバル巨人にまつわる思いは尽きない。選手、監督で計3度の優勝を経験したが、うち2度は巨人に勝ち越した結果だった。裏を返せば、打倒巨人は天下を取るための絶対条件なのだ。

歴代監督の交代劇を振り返っても、伝統の継承という点での違いを見せつけられている。これを猛虎新時代の節目とし、伝統の一戦が永遠であってほしいと願ってやまない。