悲しみを乗り越えて、たくましくなった-。西純が創志学園時代にバッテリーを組んだ1つ上の先輩、藤原駿也さん(21=天理大硬式野球部3年)が、日刊スポーツに後輩との秘話を明かしてくれた。

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口数も少なく、おとなしい。それが入学当初の西純の印象だった。しかし、マウンドに立つとその姿は一変。「気持ちが前面に出るいいピッチャーでした」。当時から気迫あふれる姿で打者に立ち向かっていた。

高校1年の秋、西純の父雅和さんが45歳の若さで亡くなった。葬儀を終えて帰ってきた西純は、見違えるほど変わっていた。「今まではセンスや自分の経験だけでやっていたのが、練習の意識が変わった。ランニングの走る量も、ブルペンの内容も変わりました」。父は野球を始めた時から応援してくれていた存在。16歳の少年は、悲しみを覚悟に変えていた。

「お父さんのために、やらなあかんのちゃうか?」。試合でピンチを招くと、藤原さんはマウンドに駆け寄り、決まってそう声を掛けた。「分かりました」。西純は静かにうなずくと、いつも空を見上げるようになった。天国のお父さんに届くように。それが2人のルーティンになった。

西純が2年夏に甲子園に出場。次々に三振を奪う姿とともに、トレードマークのガッツポーズは話題になった。「試合中に審判の方に注意されることもありましたが、あれはお父さんに向けてのガッツポーズ。お父さんに対する気持ちが出ていたと思うんです」。普段は穏やかで真面目な、後輩の姿を知っている。

2回戦で敗退した後、藤原さんは「自分の力で甲子園に戻って優勝しろよ」と託した。3年時にリベンジはできなかったが、西純は聖地に帰ってきた。この日は高校時代のようなド派手なガッツポーズはなかったが、変わらぬ気迫あふれる後輩を藤原さんは誇らしく思っている。【磯綾乃】