ばったりと出会った親友は相変わらずの巨体でいかつかった。前からくる人たちからことごとく避けられるが、実は公安職のエリート。かつて柔道を志したその男は、自分が昇段試験を受けた当時の話題を振ってきた。

「相手は年下で、おれも強かったから勝てると思ったのが油断だった。そいつはおれの右脇下をとってきて、こちらがスキを見せた瞬間に体落としで横倒しされ、有効をとられた」

親友を倒した相手の名前は、佐藤博信という。そう。阪神で売り出しの佐藤輝明の父。「上背があって、手足が長いやつで、今、テレビで見る息子も体形がそっくりやな」。長いリーチの効いた打撃は親譲りだろうと意見が一致して別れた。

その佐藤輝は、大山が不在の間、近大で本職だったサードを守り抜いた。計11試合に三塁で出場し、守備機会は30度あったがノーエラー。特にベース寄りに強い印象を受けた。

大学に入学した春にあいさつを受けたのは、近大OBで南海ホークスの三塁手だった藤原満だ。コロナ禍以前は毎月お目にかかっていたが今はかなわない。ただ後輩の存在は「おれの1年目はびびってたが堂々としてるな」と気になるようだ。

松山商から近大に進んだ藤原は、後に“ミスター・ロッテ”と称される有藤通世と同期生。「最初は三塁を守ったが、有藤がショートでトンネルをした。それで監督の松田(博明)さんがおれと有藤を交代させた」。三塁有藤、遊撃藤原は近大史上最強コンビとして伝説になった。

その後も、近大から二岡智宏、山下勝充、藤田一也、小深田大翔ら内野手が続々とプロに巣立った。

もう1人、浪商、近大で三塁手だった大熊忠義は佐藤のパフォーマンスを「ベタボレですわ」と持ち上げる。阪急ブレーブスで9度の優勝を経験。「とにかく打球は前に落とせと教えられた。お前の顔やったらいけると。それ以上つぶれんという意味ですわ」。

大熊は「1年目から胸元はそうは打てない。守備も派手さはいらんから堅実にやってほしい」、藤原も「華はサード。いつかまたホットコーナーに立つ姿が見たい。とにかく死に物狂いでやれと言いたい」。近大マグロは全国区だが、佐藤輝がプロ野球界という大海で育っていくプロセスに視線が注がれる。【寺尾博和編集員】(敬称略)