15年から3年間、ロッテを担当した。当時若手だった加藤翔平外野手(30)のことは「もったいないなあ」と思いながら見ていた。高い身体能力を持ちながら、ここぞでのポカがあった。返球、バスター、バントなど、立場上、着実にこなさないといけないプレーでのミスがあった。懲罰交代されたこともある。1軍にはいても、なかなかレギュラーをつかめずにいた。

ルーキーだった13年5月の楽天戦、プロ初打席で初球をホームラン。デビューが衝撃的だっただけに、余計に歯がゆく見えた。それは、本人も同じ気持ちで、取材メモを見返すと、21試合出場に終わった15年オフには「悔しさしかない1年でした」と言っていた。その分、もがいてもいた。

球界で数少ないスイッチヒッターだが、年が明けた16年春の一時期、2軍にいた加藤は両打ちをやめた。結果が出ない中で、何かを変えようと必死だった。モヤモヤから救ってくれたのは、ベテランの一言だった。2軍戦で右打席に立っていた加藤に、ヤクルトの館山(現楽天投手コーチ)が「スイッチ、やめたの? 俺は、お前の左、嫌だったけどな」と声をかけてくれた。それで、吹っ切れた。再び、スイッチとして歩み始めた。

真面目な性格、というか、いたって普通の好青年だ。中学生の頃は「プロ野球選手になるなんて、思いもしなかった」そうで、スポーツ記者を目指したこともあった。それで、勝手に親近感を覚えた。受験勉強して県立高校(春日部東)に進み、1年秋に監督の勧めでスイッチに挑戦。授業も左でノートを取り、ものにした。甲子園と縁はなかったが、強豪の上武大で花開き、プロ入りをつかんだ。

16年の開幕前に結婚した夫人は、アスリートフードマイスターの資格を取得。加藤は野菜嫌いの偏食だったが、おかげで食べられるようになったと感謝する。

そんな彼も、今年で30歳。もう若手じゃない。新天地で1年1年が勝負となるだろう。中日には、前ロッテ監督で、若い頃の加藤を知る伊東ヘッドコーチがいる。持ち前の身体能力をフルに生かしたプレーを見たい。【15~17年ロッテ担当=古川真弥】