日本の野球文化は高校野球から成り立っている。日刊スポーツ評論家の田村藤夫氏(61)は、今夏甲子園大会取材で実感した高校野球の意義と、いまだ胸の奥でくすぶる大阪桐蔭―東海大菅生の降雨コールドゲームへのもどかしさを語った。来春センバツ出場がかかる秋季大会が本格化する今、プロ野球にはない高校野球でしか味わえない魅力を全国の野球ファンへ発信する。

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プロ野球を見続けてきた私にとって、今回の甲子園取材は、私も歩んだ原点を思い起こさせてくれる時間となった。

言ってみれば、一期一会の観戦が高校野球だった。朝7時過ぎには甲子園球場の報道受付で名前を告げ、リストを確認してもらい色分けされたシールを報道許可証に自分で貼って受付を通過する。限られた枚数しか各社に配されていないため、貴重な1枚を私は使い球場に入る。そして、バックネット裏の古めかしい記者席に座り、試合前のシートノックからグランドに目をやった。

銀傘の下からグランドが一望できる。あらためて広大な内外野、ファウルゾーンを実感できる。そして、アルプススタンドは両翼に高くそびえたつが、そこに満員のファンがいない。今年の大会が、いかに異例な中で開催にこぎつけたかを痛感した。

試合が始まれば、どんどん進行していく。プロ野球のように、選手がある程度の間を許されることもない。当然のことだが、打者が打席を外せばすぐに入るように促されるし、そもそもすぐに打席を外す球児はほとんどいなかった。投手のテンポも小気味よく、試合のリズムは記者席から見ている私には心地よかった。

これまで、テレビでは高校野球を楽しんできたが、捕手として生きてきた身としては、グランド全景が見渡せる場所から甲子園大会を見たかった。

捕手は1人だけバックネットを背にグランドを向く。常に野手を見ながら、内外野の守備位置を把握していた。審判のストライクゾーンの傾向を肌で感じ、投手の表情から自信があるのか、不安に感じているのか、そういった情報を五感を使って頭に入れ、ミットを構えた。

甲子園球場に身を置き、生の雰囲気を感じながら、テレビ画面では分からない全体の動きを視野に入れて試合を見たかった。そして、一定期間甲子園大会を見ることができて、私が関東第一で投手、捕手、三塁手をやりながら甲子園を目指していたころを頭の中でオーバーラップさせながら、存分に高校野球を観戦させてもらった。

捕手の私が感じたプロ野球と高校野球の違いを、真っ先に感じさせてくれたのは三振だった。

大会初日、私は日本航空の左腕ヴァデルナが三振を奪う姿から感じるものがあった。1―0でリードした7回表、2死一塁で東明館の左打者久保から三振を奪う。カウント1―2から、3球続けて変化球がいずれもファウル。7球目にストレートを決め、久保はバットが出ず見逃し三振。

カウント1―2から変化球を3球続けている。いずれも打ち取りに行ったボールに見えた。3連続の変化球に対応されたことと、打者の変化球への意識が強くなったことを踏まえ、ストレートを決めた。見事なピッチングだった。モニターで引き上げるヴァデルナの表情を見たが、淡々としていた。

記者席から見る限りでは、打者の見送った時の体の反応から、打者は狙いを外され、とっさに対応できなかったと感じた。バッテリーの反応が気になったのだが、打ち取ったヴァデルナの顔には特別な感情は見て取れなかった。強いて言えば冷静だな、という印象を受けた。

私がプロで打者との駆け引きにやりがいを感じていた時、捕手として手応えを得るのは「見逃し三振」だった。それが落合さん、門田さん、清原、秋山などの強打者であればなおさらだった。

見逃し三振には、打者の狙い球を外して見送らせた、という意味合いがある。バッテリーの戦略の勝利であって、配球を組み立てた捕手としては「よし」という達成感がある。

打者の狙い球を外して攻め切ったことで、その後の対戦でも有利に進められる。プロでは同じ打者との対戦はシーズン中に何度もある。打者との対戦は続きものだ。ひとつの見逃し三振によって、その打者に対して心理面で上手になれることもある。もちろん、完璧に読まれて打たれれば、その逆もある。プロでは打者との対戦は常に前の打席での攻め方がつながりを持つ。捕手の私が見逃し三振により大きな価値を見いだしていた理由はそこにあった。

当然だが、投手は捕手とは違った認識だったと感じる。打者がストレートを待っているところで、途中まではストレートと同じ軌道を描きながら、ベース手前でスライドし、打者が空振り三振すれば、スライダーをストレートと同じように扱った技術に満足する。

打者のストレート待ちを承知で、真っ向勝負でストレートを投げ込み空を切らせる。キレ、スピードがある速球派はこの空振り三振の魅力を追い求める。捕手の立場からしてもよく理解できた。

捕手の私はどうしても先のことを考えるため、見逃し三振によって得られるアドバンテージと、打者の思惑を読み切った充実感が手応えになった。

三振とはそういう意味合いを持っていたのだが、甲子園での投手は、まったく違う。この試合に勝つために投げている。その後の対戦など考えていられない。目の前のストライク、このひとつのアウトに全力で投げ込む。当然、見逃しだろうが、空振りだろうが、大切なアウト1つに変わりない。捕手が構えたミットから遠く離れた逆球であっても、そこに完成度は求めない。チームの勝利のため、27アウト目を目指してひたすら投げる。

ヴァデルナの冷静で、淡々としたその表情を見て、球児が打ち取る1つのアウトの重さを感じた。

私はドラフト会議にかかる選手の力量を測るという基準だけで、甲子園大会を見ることはしたくなかった。地方大会を勝ち抜いた高校生でも、大学まで野球を続ける選手は限られた人数しかいない。ほとんどは高校野球で選手生活に終わりを告げる。その球児たちのその試合にかける姿に目をひきつけられた。それは地方大会でも同じことで、この試合、この打者、この1球に全力を傾ける熱気に、この一瞬に生きる球児のひたむきさを感じた。

ベンチから大声を張り上げていた専大松戸・吉岡の若々しい行動、降りしきる雨の中、東海大菅生・若林監督と大阪桐蔭・西谷監督が、ベンチのひさしから出て、雨にぬれながら身じろぎもせずにグランドを見ていた姿、攻守交代の度に大きな声で「さあ、行きましょう」と両軍ベンチに声をかけ続けた審判員、きびきびと見事な手際でグランドを整備する阪神園芸のスタッフ。そうしたものがひとつずつ積み重なり、甲子園の魅力となっているのだろう。

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今回、私には強く心に残ったシーンがあった。それは大阪桐蔭―東海大相模の降雨コールドゲームの中にあった。

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当日、試合前から球場のグランド状況を見ていた私には、プレーボールをかけた判断は妥当に感じた。午前8時の時点で、グランド状況は良好だった。しかし、予報では試合中の降雨が予想されていた。プレーボールをかけるかどうかは、主催者の高野連の判断と理解している。そして、ひとたび試合が始まれば、中断するか、7回成立よりも前であればノーゲーム、7回以降であれば降雨コールドゲームの判断は、審判に委ねられていた。

試合運営の指示系統は理解している中で、結果としてこの試合をふりかえると、以前に紙面に掲載したコラムでも指摘したが、雨が激しくなり、マウンドが荒れた5回以降は、とてもピッチャーが本来のピッチングをできる状況にはなかった。つまり、その段階でノーゲームを選択することがもっとも的確な判断だったと今も感じている。

その思いはおそらく当時の山口球審も同じだったと想像している。ただし、いったんプレーボールをかけた以上、1試合だけでも試合を成立させたい心理が働くのは当然のことでもあった。山口球審は序盤からイニング交代の度に両ベンチに声を張り、迅速な攻守交代を促していた。これは天候にかかわらず、高校野球ではきびきびとした攻守交代が定着しており、天候に苦しんだ今年の大会に限ったことではないと感じた。

その素早い攻守交代への声がけへの印象は、試合が進むにつれ変化していく。雨が降り始め、大阪桐蔭が3発のホームランで優勢に試合を進める。記者席に響いてくる「声がけ」には試合序盤とは違う意味合いを感じるようになった。なるべく迅速に試合成立にこぎつけたい、という無言の重圧だ。これは私の想像によるもので、この想像をもって当時の審判団を批判する意図は毛頭ない。と同時に、東海大菅生の選手も私と同じ感覚を抱いたのではないかとも察する。それは、予報が悪い中で試合が始まり、負けているチームが抱える焦燥感を、さらに募らせるものになったと見て取れた。

5回裏の大阪桐蔭の攻撃中に、東海大菅生の2番手本田は2度、投球後に転んでいる。マウンドは泥でぬかるみ踏ん張れない。雨で本田の指先はぬれ、制球できない状況だった。ここで、一塁側ベンチから阪神園芸と思われるスタッフがグランドの球審に声をかけているのが見えた。おそらく、マウンド付近の整備の必要性を確認したと思うが、これを球審はことわり試合を続けた。

三塁側ベンチから東海大菅生の選手がマウンドにタオルを持って走り、本田の左手をタオルで包んで水気を取っていたが、タオルから手を出した瞬間に左手は雨にぬれ、びしょぬれの左手での投球を余儀なくされた。

5回裏が終わればグランド整備の時間に入る。球審はそれを念頭に5回裏途中での整備は求めず試合を継続したのだろう。しかし、負けている東海大菅生からすれば、ここでの追加点は致命的になる。まずマウンドのぬかるんだ泥を除き、砂を入れて少しでも状況を良くして勝負どころの試合に入り直しても良かったと私は感じていた。

5回以降は、両チームの投手はただストライクを投げるしかない、過酷なマウンドになった。何とかストライクを投げようと必死だったと思う。今まで通りの腕の振りでは滑ってボールになる。四球では試合は進まない。この特殊状況で、投手ができることはひとつだけだ。力を加減してストライクを取る。ストライクを取るか、打たれるか。1球目からストレートでストライクを投げ、2球目もストレートでストライク。そして3球目も…。変化球を投げたり、意図的にボール球にする余裕はない。常にストレートでストライク。これは異常なことだ。

打たれる覚悟で、力をセーブした球威でストライクを投げる。その投手の心情を思う。もはや、捕手は何もしてやれない。打ち損じを祈るだけだ。打者有利というよりも、圧倒的な投手不利。ただ試合を先に進めるためだけに投げる。5回以降は酷な光景が続いた。

この試合の後、私は改めてこの試合を考えた時、試合を決定付けた場面をひとつ挙げるなら、7回表東海大菅生の攻撃だった、と思うに至った。3点を返して1点差に追い上げ、なおも二死二、三塁。一打逆転の場面で、打席は4番小池(2年)だった。

野球経験者にもよく考えてもらいたい。間断なく降り続ける雨の中、力を加減してストライクを取るしかない投手に対し、圧倒的に有利な状況で打席に入る打者の心理とはどんなものか。打って当然。その優位性は、打たなければ、絶対に打たなければ、とのプレッシャーになっただろう。小池のその打席での心情を想像すると、今も胸が苦しくなる。

1点負けている9回裏、二死満塁。フルカウントで打席にいる打者もつらいだろう。そして、今回のケースはその特殊性からしても、極めて異例な状況での勝負となった。投手はストレートを置きに来る。それを必ず打たなければと打席にいた小池の心理は、私たちには想像もできない。結果、松浦のストレートは見事なコースに決まり、小池のバットは雨の中で空を切った。

雨脚が強まる中、実質的に東海大菅生が敗戦をより強く覚悟する分岐点となった瞬間だった。果たして、仕方ないで済むことなのかと私は感じる。

試合成立を目指し、両軍に等しく攻撃の機会を与え、9回までプレーを続け、戦い抜いた上で勝敗をつけてあげたい球審の思いも痛いほど分かる。そしてそれ以上に、野球にならない状況で、ストライクを置きにいくしかなかった松浦と、その状況をわかっていただけに必ず打たなければと覚悟を決めて打席に入っていた小池。彼らの置かれた状況は、決着をつけるために戦う高校野球にはふさわしくない。

おそらく、似た状況下で涙をのんだシーンは地方大会にもあったと感じる。この大阪桐蔭―東海大菅生において不運にして発生してしまった降雨コールドゲームを、高校野球では最後の試合にしてほしい。審判には、日程面の事情に縛られずに、迷わずノーゲームを選択できる環境を整えて、試合を委ねたい。そしてサスペンデットゲームの採用も、こうした局面を打開する有効な方法になると感じる。また来年、天候不順で同じことが繰り返されないよう、野球に携わるものとして、微力ながら声を上げたい。